うえのブログ

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誕生日って祝われるの好き?嫌い?感謝と賞賛の意味から考える違和感

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2018/10/27更新

誕生日って、誰もが喜ぶべきイベントだと思ってませんか?

 

私は誕生日をお祝いしてもらうのが、実はかなり前から好きではありません。

 

気になったので起源からそういう考えに至った理由まで、色々調べたりしました。

 

 

はじめに

 

冒頭にも書きましたが私は誕生日を祝われるのが嫌いです。

 

祝われるのが嫌いって伝えると変人扱いされますし、下手すりゃ糾弾。

 

イベントでどうしても祝わなきゃいけない時は、周りに合わせていることが多いです。

 

 

てか、なんで祝うんだ?ってとこで、起源から調べてみます。

 

そもそも誕生を祝うようになった起源

 

ちょっと気になったので、起源をいくつか調べてみら壮大な話になってしまいました。

 

 

誕生日にケーキを食べる様になったのは古代ギリシャにまで遡る

~中略~

アルテミスに供えたケーキを供え終わってから自分たちで食べたのがバースディケーキの起源のよう

誕生日はなぜ祝う?誕生日にまつわる色々な起源 | wefie

 

 

そう、神様とか宗教的なものは行事的にお祝いがあるんですね。

 

天皇誕生日とか、某有名なイエス・キリストの誕生日とか。

 

 

簡単にまとめると

 

神が私達のような赤子に手を差し伸べてくれた感謝の意をお祝いとして捧げるようです。

 

神が人として舞い降りてきた日、もしくは神が人と関わり合った日とか。諸説あるようですが。

 

とりあえず、誕生を祝う起源としてはこういう流れがあるようですね。

 

日本での誕生日を祝う起源は?

 

室町時代、医療も栄養も乏しい時代に誕生日の起源「七五三」が行われるようになりました。

 

小さいうちに亡くなりやすい子供が無事育った感謝の意、成長の節目を祝うというところです。

 

で、調べていてここも感謝の意というフレーズが引っかかりました。

 

結論。誕生日を祝うということは?

 

つまり、私を産んでくれてありがとう。

 

ここまで育ってくれてありがとう、てことだと思います。

 

結局のところ誕生を祝うのは感謝が源流になっていると考えられます。

 

 

おめでとうと言われた時の違和感

 

私は家族以外に「おめでとう」って言われると、えっ?ていつも思います。

 

もちろんずっと、形式的に「おめでとう」と言われて「ありがとう」と返してました。

 

でもふと、なんでいつも違和感を感じるんだろう……?と疑問に思ったところから考えるように。

 

単純に、なんか変だな~ぐらいにしか思ってませんでした。言い知れぬ違和感がずっとあったのです。

 

でも上述した内容をまとめてて、思いました。

 

そうか、おめでとうという言葉に違和感を感じていたのかと。

 

おめでとうじゃなくて、ありがとうじゃないの?

 

結局のところ源流が感謝、つまりありがとうから来てると思います。

 

自分の誕生日というより、親への感謝を無意識的に感じていたから私はいつも違和感を感じていたのかと。

 

普通に生まれたこと自体、素晴らしすぎる出来事だし。こんなブログ書けてないし。

 

子供を産むのも育てるのも、人生の中でとても大変かつ素晴らしい出来事です。

 

もちろん人には様々な事情があり、素直にありがとうと言えない人も居ます。

そういう人は、私とは事情が違うなぁと思います。

親へ感謝が出来ない理由を持つ方が、自分の生を肯定できるのかなと。

どう足掻いても誕生というエピソードには、親が切っても切れない関係性を保持し続けますし。

 

自然と湧き上がる感情


そう言った場合を別にして、単純に親への感謝の気持ちっていうのは自然と湧き上がるものでしょう。

 

そのせいか、なんで違和感を感じるのか……?という自分の気持ちに気付くのが遅れたりしました。


結果として、誕生日は祝うものじゃなくて感謝の日だと思います。

 

「生まれてくれてありがとう」「ここまで育ってくれてありがとう」

 

という言葉を、関係性の希薄な人から言われて嬉しいの?ってところを感じていたわけです。

 

もちろん、関係性の深い方から言われる時は特に違和感を感じません。

 

拒否反応を示す人への考察

 

誕生日祝われるの好きじゃないんだよね、と本音を伝えたときに激しく理解を示したがらない人。

 

そういう人に限って、おめでとうって言われて嬉しくない人はいないでしょ!

 

っていう押しつけを感じてしまいます。

 

何があっても感謝をされて嬉しいものは嬉しいはずだ!なぜだ!素直じゃない奴め!と糾弾されます。


そんなの気にしないでただあざーすって返しておけばいいじゃんって人は、気にしている人の気持ちを考えることは出来ないでしょう。

 

それこそ押し付けになってしまいます。


あと形式的に、自分がそうしてもらったから相手にもそうするって話になると、それが当たり前になって出来事がルーティン化してる。

 

なんの疑問も持たず、相手の嫌なことをしてしまっている場合があります。


こう言われて悲しくなる人は、

 

  1. 自分の気持ちを受け入れてもらえない
  2. 受け入れてくれるのが当たり前と思っている
  3. 相手を暗にコントロールしようとしているor
  4. 見返りを暗に求めてしまっている…?

 

という考えが無意識下で働いているような気がします。

 

コントロールしたい欲求


数年前、とある人が「大好きな親に期待して何がいけないの?」と言っていました。

 

好きな人だから期待する、期待するとは自分の思った通りに動いてほしいと思うこと。

 

つまり、相手が好きだから自分の思ったとおりに動いてほしいという欲求。

 

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ただそういう支配欲が強い人は同時に、好きが強くて依存心も高く、不安感も高いです。

 

そして依存するから、不安を安堵に変え、原因を他人に求めてすべての矢印が他人に向きます。

 

依存しない人は、他人のコントロールより自分を変えていく自分への矢印が強いかと。

 

自分の気持ちの源流を知ることが大事


脱線しましたが、いずれにせよ色々な理由があるかと思います。

 

ただ、言われて思考停止はせず、自分の気持ちを掘り下げて考察してみることを推奨します。

 

押し付けるということは、相手が受け入れてくれるという決めつけの元に行動されてると思うので。


ただ、何度も言いますが私もしっかりおめでとうと言われた場合にはありがとうとお返しします。

 

それとこれとは問題が別なので。

 

まとめ

 

本来であれば毎日がお祝いです。だって明日死ぬかもしれないですし。

 

ただ、毎日お祝いするとか非効率そのものなので、一年の節目として振り返るタイミングならアリ。

 

あと、お祝いするな!ってわけでもありません。嫌というより素直に喜べないだけです。


なので、近しい人には正直に自分の気持ちを伝えるようにしています。

 

それで理解を得られなかったら、その人とは形だけのお付き合いをするようにしますし。


無理に自分の価値観を押し付ける必要もありません。

 

ということで、こんな長文を最後まで目を通してくださった方に感謝です。

 

 

 

ではでは(`・ω・´)ゞ