人によっては全く苦労しない、人と人との距離感。
こんばんは、上野です。
わたくしめは元来あまり人付き合いが上手じゃない、特にこの距離感が分からなかったりすることが多くて。
それで人間関係が上手く行かないとかそういうのじゃなくて、すっごく簡単に言えば一人で勝手に考え込んでる感じ。
人との距離感
手が触れられるとかそうじゃないとか、空間的な距離もそうだし。心理学的な距離もある。
複合的に作用し合うけど、私が一番気にするのは心理学的な距離の方。
まだ多感だった厨二の時は、相手の発言に一喜一憂し、勝手に疲れてた思い出が。
……そう、勝手に疲れてるだけ。
実際はそうでもないし、むしろそうかもしれない。でもそんなの小さくてくだらないこと。
結局は、人に良く見られたいって部分もあるんだろうし。
黒い部分
今は全然そんなこと無いけど、それこそ厨二の時はよく底なしに人を信じてひどい目にあった。
いじめとかじゃなくて、ひどく自分の気持ちを裏切られたり踏みにじられる返答・行動が返ってきた。そして多分、相手は全く悪気が無い。
でもそれって、自分が相手の領域に踏み込みすぎたからなのかなぁ?とか、それとも信じすぎたのか。どっちかは分からない。もしくは両方。
今では、そういう人の保身を感じる瞬間とか、黒い部分って呼んでるんだけど、そこがよく分かるようになった。
そこらへんに触れると、結構手痛い目に遭うということがわかったから敏感になったのかもしれない。
今だからこその悩み
多分、年齢と共に落ち着いてくる部分だとは思う。まるで悩んでるかのような言い方に見えて、内情は結構あっさりしてるから。
昔は勉強が手につかないほど悩んだ時期もあって、それでよく創作活動に打ち込んでたなぁと。
だからこそ当時は作り上げる楽しみがすごくあって。
今は、やることはやるし、他に打ち込むべきところは打ち込むし。時間にも限りがあるから、そこに時間を取られすぎるのも無理がある。
ふと立ち止まって考えることも重要だし、たまにこうやってその辺に残ってる残留思念みたいなのを文章化するのもいいかなって思う。
じゃあ何故、今のタイミングなのか
やはり、自己表現をしていく中で自分と向き合うことは、ネガティブ要素が強くなる傾向にあると思う。
形なきものを形にした時に、芸術性がある。そこに依存して、更に深い描写を求めると混沌とするから……自然な流れなのか。
それとも、自分と向き合った表現を生み出すことで、一時的にネガティブ要素がなくなってバランスを欠いて、調和しようとネガティブちゃんが過剰分泌されちゃうのか。みたいなね。
ちゃん付けするのはこう、愛らしくもあり憎らしくもある部分だから。じゃポジティブはくんづけかな?
今後の活動への影響
もっと自分の為に書くべきだと思う。記事を。
ちょっと見失いかけた部分、だから最近ブログで変なこと気にするようになったのか。
仕方ない部分でもあるけど、成長過程と思えば素直に喜べる。かもしれない。
終わりに
きっと、どこかで踏み込みすぎたのかもしれない。自覚なし。
てか、いつの間にか自分の目的が、自分のためじゃなくて一部他人のためにすり替わっていた事に驚き。
全然関係ない話。
とあるペットトレーナーの言葉だけど、ペット好きな方は人付き合いが苦手な人が多いと言ってた。(ペットの種類にもよるみたいだが)
ペットは、飼い主を裏切ること無く、注がれた愛情に全力で応える。
人は、愛情を自分の都合で掌返しする。
なんかふと思い出した。
心の問題は難しい。
だからこそ楽しい。
それでいて悩ましい。