どんなに取り繕っても、人の感情は完全に隠し切ることが出来ないと思っている。
うえのですこんばんは。
むしろ、取り繕うとすればするほど、どんどんその人らしさが悪い意味で出てしまう。
色んな感情表現があるけど、共感でも畏怖でも難解でも、そこに一貫して伝わる人の感情が絶対にあるわけで。
一番最初に見て感じた思い、こそが真実なのかなぁと。
一番最初に感じるもの
人は見た目で判断できないとか、逆に見た目の第一印象に関わるメラビアンの法則だとか色んな諸説が溢れ返ってる。
メラビアンの法則について記事を書いたこともあったけど。ここでは言及せず。
とにかく全てそういう変なのは取っ払って、何かを見たり聞いたりした時に「何を感じたか?」という部分が真理だと思う。
むしろ、思うっていう言葉を使うのが烏滸がましいぐらい真理でしょ。と勝手に信じている。
感情はどうしても隠せない
と、思うのは。とにかく、意思を伝達するっていう時点で媒体の一つである感情が絶対にあるわけで。
この人に伝えたい!っていう意思で説明すればその熱意は絶対にどこかで伝わるし、適当に伝えればなんとなく心ここに在らずな感情が伝わる。
その矛先に関しては憶測になるから、人によって推察がブレるんだろうけど。
でも、一番最初に何となく感じたものに焦点を当てるとブレは少ないと思う。
一例を出すなら
特に違和感を感じることって、弱い自分を隠そうとする人。強がったり嘘ついたり。
例えば怒られてる時、指摘する側が少しでも嫌味を放った瞬間とか
「僕、そんなこと言われても気にしませんし、どんどん言って下さい(笑)」
という新入社員さん。十中八九、気にしてるよね。
気にしてないという自分を装う事で、本当に自分は気にしない、と逃げつつも殻に閉じこもる。得られる安堵感。
あぁ、僕は本当に気にしないんだ。だから大丈夫。
そして指摘しても無駄だよ、気にしないですから、あなたの行為は無駄ですよ~んっていう煽りが入ってる。
でも、大半の指摘した人はそういうのに薄々気付いてる。圧倒的に経験値が違うから。
伝えたくないものほど伝わってしまうジレンマ
追撃されないと、自分は上手く逃れた、と思うのかもしれないけど。その動向さえも全部滲み出てしまう。
感情が人に強い影響を与えてしまう以上、自分を守ろうとする感情はどうしても強くなりがちで、隠し切れるものじゃない。
小手先のテクニックや、感情のズラし方を巧みに使えば違和感を払拭させることも出来るけど。
それは結局、次に発生した違和感もまた対応しなきゃいけなくなる。いわゆる嘘に嘘を重ねる状態。
それが続くと多くの場合、どんどん自分を大きく見せていかなくてはならない。ある側面から見ると、感情ってすごく一貫性があると思う。
バランスが保てなくなったらより攻撃的になったり、突っぱねたりして、先程の新入社員くんの件で言うなら「どうせ俺のことなんて理解できない」とか、「言い方一つで俺だって変わるのになぁ~」なんて意固地になる。
そしてヤマアラシのジレンマの如く、近付きたくても相手を傷つけるだけになってしまう。
隠されたメッセージ
実際のところ、伝わってくる感情はその人のメッセージでもあるので、どう受け入れるかという部分で全く話が違ってくる。
ブログなんかは文字ばかりだけど、感情移入がされてるかされてないかは読み手が一番分かるしアクセスとか読者とか結果に大きく左右される。色々な状況が加味されるけど。
受け入れる側も、受け入れてしまうと影響を受けざるを得ないから、ある程度のキャパが無いと拒否反応を示してしまうんだろう。
終わりに
受け入れてほしい、わかってほしいという思いは強いくせに。自分は相手の感情を受け入れられない、という事が多い。
想像以上に人は、自分本位で生きているし、だから人間なんだと思う。