うえのブログ

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脳のリソースを無駄遣いすると生産性が落ちるっていうけど体験しないとわからないのでは

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よく「頭を無駄遣いすると生産性が落ちるから適度に手を抜け」なんて話を聞きます。

けど結論から言って、生産性が落ちるほど限界まで頭を使っている人は少ないんじゃないでしょうか。

 

判断する量を限界まで増やさないと生産性に影響しない

人によっては体感できる人もいますが、多くは「生産性が落ちる」という事態に真の意味で気付けていないと思います。

私の場合、睡眠時間を削って本業→副業を行っていても判断量は許容値を超えていませんでした。

忙しくなって判断する量が限界を超えたとき、初めて生産性の低下に気付けたのです。

一日に判断できる量は限られている

本当に判断量がギリギリのときって、朝起きて「どれ着ていこうかな」でさえ無駄だと感じます。

そう感じる前の私は、副業でメディアの編集業務(記事構成の立案→執筆依頼→校正)を行っていました。

順調でしたが、全く意図しない凡ミスが増えて大変な時期があったのです。

「判断できる量はもしかして限られている?」という仮説を立て、判断する量を減らしたところ劇的に凡ミスが改善されました。

生産性の低下に初めて気付けた大きな衝撃

自身は用心深いのでしっかり確認をし、(本業・副業問わず)提出後は不備をあまり出さないです。

今までのそんな経験や自覚があり、しっかり確認すれば問題ないと感じていたのにミスが頻発する状況。

まるで誰かがあとから改ざんしている?とさえ思うほどの無自覚さに、当時は不可解なことばかりでした。

同時に今までの人生で、「一日で判断する量がここまで増えたのは初めてだ」とも気付けています。

本当の意味で生産性の低下に気付けていないと感じる理由とは

判断する許容量はおそらく個人差があり、誰しも平等ではないと感じます。

その上で本当の意味で生産性の低下に気付けていないと感じるのは、「そこまで限界に判断していないだろう」と感じるためです。

一般的な人が生産性を意図的に落とす場合

副業でとても頑張っている場合があるので、一つの場面だけでは判断できない前置きをしておきます。

それでも手を抜く人は、うまく自分の好きなことに注力できるよう判断量を配分しているはずです。

本来であれば疲れすぎないように、力の配分を考えるのが当然でしょう。

 

自身は楽しさを感じていたからこそ追い詰めたと感じる

当時は本業も副業も楽しく、どちらも充実していました。

だからこそ限界まで判断量を増やしてしまい、普段求められない質の追求でようやく生産性の低下に気付けたのです。

今までの経験と自身の体験を照らし合わせると、「脳のリソース無駄遣い」は下記の2つじゃないと気付きにくいと感じます。

  • 本当に質の高い生産を求められ続ける人
  • 無駄遣いをたくさんしてようやく気付けた人

私の場合、判断の無駄遣いをたくさんして帰宅後のわずかな生産で感じ取れました。

まとめ:実際に体験して初めて判断しない大切さを思い知る

無駄な判断を削ぎ落とすと、非常に生活がラクになります。

とはいえやりすぎると合理主義になってしまい、余白がなくなりやすいです。

なにが大切かを決めて、達成するために「判断しない」項目を増やすとわかりやすいかもしれません。