私はあまり愚痴を言うことはありません。愚痴を言ったところで解決にならないし、さっさと前向きに行動したほうが良いと考えているからです。
しかし感情的に考えている人にとってこの考え方は、理解しがたいのではないでしょうか。
愚痴はなんの解決にもならない?愚痴ってしまうときの考え方
私自身の考え方なので、万人に当てはまらないという前提です。
愚痴ってしまうときは、なんとかしたいけど自分ではどうにもならないと「決めつけてしまった」ときに多いと思います。
改善を考えていれば愚痴を出すスキがない
私は現代日本の一般的な社会生活を送る上で、合理的に粘り強く改善を続けていけば物事の大半は好転させやすいと感じています。
そのため折れたり諦めたり、他人に左右されやすい「感情」は邪魔になるという考えです。
この前提で物事に取り組んでいると常に目の前の改善を考えてしまい、愚痴を考えるヒマがそもそもありません。
過去の愚痴っていた自分は諦めていた
もちろん昔からこの考えだったわけではなく、経験を通して今の考え方が最適だと感じたから少しずつ変化しました。
過去の自分を振り返ってみると、
- 時間とともに環境が変わることを期待していた
- もう自分ではなにもできないと改善を諦めていた
という考えで愚痴をこぼしていたように感じます。
つまり現状なにかできるはず・変えたいはずなのに行動せず、諦めていた自己矛盾から愚痴に逃避していたようです。
嫌だなと思う瞬間から動く姿勢へ
これほどイヤだと思うなら、まず自分で直してみたら良いんじゃないか?と動いたキッカケが始まりです。
- 現状なにができるか考える
- できることは全部やってみる
- イヤだと思うならすぐ伝える
ただし相手に直接自分の意見を伝えると、現代社会ではトラブルになりやすいとも感じます。(とくに会社員)
ほかに改善の手立てがない場合は、潔く身を引く考えも大切です。
ストレスを溜め込むのは良くない
迷惑をかけたくないから、言い出せない。そのまま溜め込んでしまい、心身に不調を…という話はたまに聞きます。
愚痴を言うのは良くないとされる風潮はあっても、すべてが悪いとは思いません。
- 伝える相手
- タイミング
- 愚痴っぽくなっていないか
前向きに捉えられるなら、むしろ愚痴はどんどん言って良いでしょう。
伝える相手が事実ベースで考えられる人なら、改善の糸口につなげられる可能性も高まります。
まとめ:最初の感情を合理的な手段で解決するのが良いと思う
最初に感じたイヤな感情や感覚に嘘をつかず、やりたくなければ「やらないようにするならどう行動すべきか」を合理的に考えます。
なぜか最初の感情に嘘をついて、矛盾を引き起こしたままだと愚痴っても同じことの繰り返しになるのかなと感じる次第です。