うえのブログ

気になったこと、思い立ったこと、調べてみたことなどを書き留める場として使っています。

一番本人に近い部分で書かれた手が加わっていない文章に触れるのは面白い

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ここ最近になってはてなブログを活用しようと更新を再開し、改めて個人の思うことやむき出しの文章を見るのは面白いなと感じたのでした。

はてなはこういう部分がいいですよね。整えようとルールに則り、手を加えすぎた文章は少し疲れるときがあります。

多くの人に見てもらおうとすると刺さらない平坦な文章になりがち

私は個人的なブログのほかにライターや編集の立場で活動しており、文章に触れる機会は多いです。

しかしメディアに載せるため一定のルールに則って整えられた文章であり、書いた人らしさは損なわれています。

文章は複数の情報が折り重なっている

文章は書いてある情報を取得できるほか、人の感情を動かすこともあり見えない情報が含まれていると感じます。

そして感情の動き方は人それぞれで、ダイレクトに心を揺さぶるものから行動を変えるキッカケになるものとさまざまです。

必ずしもどちらが良くてどちらが悪い、という単純な話ではないでしょう。

冷静になりすぎても感情に偏ってもよくない

個人的な感覚では、良いものを作るためには偏りすぎると良くないと感じています。

判断を要する場面でも、合理的に分析しつつ最終的な決断は「面白いか面白くないか」の感情に委ねることが多いです。

最近は整えられすぎて冷徹になりすぎていた感覚があるので、人の悩みとか日常とかむき出しの感情に触れると視野が広がります。

もしかしたらそういう感覚を求めて、自然とはてなを開いたのかもしれません。

人の感情は検索できない

具体的なキーワードで答えを検索することはできても、表現できない感情の機微は検索で答えを得ることができません。

だからこそ感情を揺さぶる小さなストーリーに触れていると、自分の小さな変化にも気付けるようになるでしょう。

合理性を追求しすぎても答えにたどり着けないので、バランスが大切なのはどの分野でも同じです。

まとめ:偏りがちにならないよう意識的に違うことも取り入れてみるのは大事

やってみてダメだと思うこともあるし、良いなら取り入れることも可能です。

どちらからも成長のキッカケになるものは得られるため、滞りを感じたらあえて違うことをしてみるのも手かもしれません。