たまに残業時間や働いた時間を、○時間も労働した!すごいだろ!とアピールしてくる方いらっしゃいますよね。
それほど頑張っているなら、なぜ得られた成果をアピールしないんだろう…?と思っていました。
でもきっとそういう方は、成果を持っていないんですよね。
働いた時間はかんたんに相手へアピールできる材料なのではないか
時間を提示するのは定量的で、聞く人の認識がズレることはありません。
「たくさん働いた!」よりも「15時間働いた!」とするほうが、わかりやすいです。
時間は成果よりも難易度が低い
成果は成し遂げた結果なので、なにかをなさねば成果として出せません。
しかし時間は単純に残業すれば良いため、成果とは全く別物です。
本人がどう思うかは別として、時間に着目している限り結果に結びつけるのは相当に難しいでしょう。
なぜなら本質がズレており、小説家になりたくてイラストを練習しているような状態だからです。
成果を追い求める人は時間アピールを絶対しない
そもそも成し遂げたい本質をしっかり掴んでいる方は、途中経過の投下した時間に執着しません。
成果とか難しい言葉や意味じゃなくて、夢中になって取り組んでいることに対して「○時間もやった!(すごいでしょ!)」とはアピールしませんよね。
伝えるにしても、「気付いたら○時間も経っていた」くらいにさりげないもののはずです。
どこかで共感を得てもらいたい、すごいと感じてもらいたい欲求が見え隠れするから能力の無さを露呈してしまうと感じます。
継続は力なり?嘘!思考停止の罠
投下した時間が成果に結びつかないのは、同じ努力を積み重ねたところで意味をなさないからです。
角度が変化するスロープを歩み進める感覚で、変わる状況や得られた結果に対して努力の方向性・質を変えなくてはなりません。
思考停止した状態でただ時間を垂れ流していても、結果には結びつきにくいです。
つまり時間をアピールする時点で、当人が得たいものは成果ではなく「頑張っている自分を認めてもらいたい」感情となってしまいます。
本質と自分がしていることの矛盾に気付くべき
他人を参考にするとモチベ上がるけど目標にするとうまく行かないでも書いたように、あくまで他人は他人です。
目標とするのは自分で、本質を見誤れば苦痛が伴います。
ほかにも抗議したい感情と自身が出来ないことを混同するのは良くないと思うで述べており、本当に達成したいことを適宜振り返るべきでしょう。
愚痴っぽくなるのは行動できるはずなのに諦めてしまう自己矛盾が原因も少し違う視点から切り込んでいますが、本質は同じです。
まとめ:矛盾した行動を取っていると目標から一番遠ざかるし損失が大きい
やっぱり目標と行動が一致している瞬間こそ強いですよね。定期的に客観視しながら行動を調整していくのは大切だと思うのです。
私も甘いものは控えるべきだと言いながら、アイスが片手にあるときもあります( ˘ω˘)