うえのブログ

気になったこと、思い立ったこと、調べてみたことなどを書き留める場として使っています。

掘り下げる力を養うと思考が深くなるけど面倒な性格になりがち

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私は割と考えごとが好きで、よく1つの物事に対し「なぜこうなるんだろう?」と考える傾向があります。

この考え方をしていると物事の本質にたどり着きやすいし、理解度が高くなりやすいです。でも時と場合により面倒な性格になりがち。

深く思考していると理解力は高まるけど説明するのが面倒になることも

ディスカッション時にはすでに自分の中で幾通りの課題が抽出されていて、新たな問題や視点から解決を探るのに役立ちます。

しかしいわゆる「きちんと考えていない人」に対する説明が面倒で、どこから説明しようかな…いやそもそもこの時間が無駄だな…と思いがちです。

物事に対する深堀りは無限大

今目の前でこうやって打ち込んでいることは、なにか意味があるんだろうか?って考えるだけでも無限大の考え方がありますよね。

いくらでも答えは探せるし、むしろ答えなんて無いのかもしれません。けど自分なりの答えに行き着くことは可能です。大切なのは考え抜くこと。

自分なりの答えに行き着いた過程が複雑であるほど、多くの分岐点を通過しているのでいわゆる「浅くない答え」が用意できます。

そして自分のなかで考え抜かれた答えは、ちょっとやそっとじゃ折れません。

自分が面倒な性格だなと思う部分

大抵のことって何も考えなしにやっていることではなくて、自分なりにある程度考えてやっていることが多いんですよね。

そんなときにやり方を否定してくる人とかいるじゃないですか、おおよその人が浅くて仕方ないと感じてしまいます。

まさに冒頭の「どこから説明しようかなぁ…」という逡巡が生まれて、そもそも理解しないことが多いんだよなぁ…と思い始めるわけです。

もう過程そのもので萎えちゃうので、非常に無駄な時間を過ごしたと感じてしまいます。

結局相手には伝えないし、行動も変えないから相手にとって嫌な印象を残すだけなんですよね。

多くの人に合わせづらくなる

今までの経験上、物事を深く考える人って少数派だしめんどくさがられる存在っていうのは理解しています。

だから悟られないように隠しつつ合わせつつなんですけど、実はけっこう苦痛です。見えないストレスを抱える要因になるでしょう。

深堀りせずに生きていけたら一番いいかもしれません。でもやめようと思って切り替えられるものでもないですからねぇ。

若かりしころはわざわざ説明していたし「なんとか理解してもらおう」と、粘り強くしていたらよく嫌がられていました。特に会社の上司…。

まとめ:絶対の正解じゃなくても自分なりの答えを考え抜くのはいいこと

改めて今の考え方を捨てたらどうなるか?も、思考するときがあります。

けどやっぱり自分なりの答えを持てないと不安になると思うので、やめられないんだろうなぁと思う話です。