ある程度ライティングの仕事をしていると、こうやってテキトーに書く文章と仕事用に整える文章と差がかなりついてきます。
ただ武器としては全く別物だと思うんですよね、自分らしさを表現するならやっぱり整えようとする意識は不必要です。
思ったままの感情むき出しにした文章ってそもそも体裁とか考えていない
整えられた文章でも人の心を動かすことはありますが、やはりむき出しの感情には勝てません。
たまに自分らしく文章を書こうと思うとき、仕事モードで書き始めてしまうとどこか冷静過ぎる印象になります。
自分の中で価値のあるものを生み出せるかどうか
私の中では相手の価値に合わせた文章って、やっぱり自分らしい表現ではないわけですよ。
自分らしさを求めすぎると相手の価値基準に合わないので、需要もないですし。
ただ自身の中ではとても価値が高くて、習慣として自分の言葉を吐き出せるから今の考え方につながっていると強く感じます。
価値はどこに比重を置くかだと思う
仕事でもプライベートでも、文章としての価値は優劣がないと思っています。一旦価値を定量化しやすいお金に置き換えてみましょう。
- ブログで文法めちゃくちゃでも月収100万
- Webライターとして専門知識を備えて月収100万
上記2例はいずれも周囲にいらっしゃいますけど、一定の結果として見ても差はないですよね。
というよりお金に置き換えること自体が、そもそもどうかなぁとは思います^^;
仕事とプライベートと文章を書いていて全くの別物と思った
改めて当ブログで好き勝手に書き始めて、仕事でも文章を作ってどちらも全く別物の存在だなぁと感じたのでした。相容れない存在です。
整えようと思わずに、好き勝手自分の思うことを書き綴ったほうがより自分と向き合える感覚があります。
どちらかというと整えた文章よりも、自分の思いとか頭の中を整理するという意味で使ったほうがいいなぁと。
変に整えちゃうと自分がなぜそんな表現をしたのか?という感情の動きを、封じ込めるイメージですね。
まとめ:自分らしい表現はどんな形でも自分がなぜそう思ったのかを形作る
自分がどう思ってなぜその言葉を選んだのか?本来は適切じゃないけど、選んだのは理由があるはず…という状態ですね。
本来ダメな表現なんだよな…と思うことでも、迷わず自分の思いを吐くときは使うべきでしょう。