一定の結果を出すためには、私は継続やら努力をしないと結果は出せないよ的なことを建前として言います。
けど本音を言えば割と楽しいことや苦じゃないことをしていれば、そもそも継続やら努力っていう考えに至らないと思うわけです。
楽しいこととかやりたいことって自然と継続したいし研鑽してしまうもの
努力って聞くと、大変だけど一定のトレーニングを要するものみたいなイメージですよね。
どうしても努力っていう考え方にしてしまえば、どこかで限界が生じてしまうと感じます。
楽しいことって限界がない
仕事やプライベートに関わらず、楽しいことって限界なく楽しめるじゃないですか。今でもずっとやっている趣味とか、ありませんか?
その続けていることって、他人から見れば「よくいつまでもやっていられるな…」と変態的に扱われるものかもしれません。
例えば変態的に働くのが好きで、睡眠時間を削ってでも働きたい!労働時間が増えるごとに効率が上がっていく化け物を目の当たりにしたら、恐ろしくなりますよね。
一般人からすれば、そんな変態に努力で追いつこうと思えば間違いなく体を壊します。
人によって楽しいことは全く違う
私は眠いときに寝て、起きたらひたすら仕事をするような毎日です。計測していないけど、間違いなく労働時間は会社員時代を遥かに超えます。
けど労働しているって感覚がまるで無いんですよね。楽しいことをずっと続けている印象です。
単純に楽しいと思えることを仕事にしただけですけど、人によって楽しいことって全く違うじゃないですか。
その方向性を一つにまとめて「努力が足りないからだ」と片付けてしまうのは、実は違和感を覚えています。
自分の楽しいことと他人の苦痛
他人から見て私の生活って疑問だし、もし他人が同じ生活をしたら2~3日くらいで苦痛になると思います。ひたすらコンテンツづくりとか変態的でしょう。
そして私は相談を受けた場合、よく「結果を出すなら一定の努力が必要」という言い回しをします。
おそらくそんな言い回しをしてしまうのは、他者から努力しているという印象を植え付けられてしまっているからだと感じました。
「別に自分は苦じゃないけど…きっと他人から見て努力しているんだろうな」という、イメージにすり替わっていたわけですね。
まとめ:自分の価値基準で努力していないことでも他者からみれば努力になる
今まで疑問を覚えていた「努力」ですけど、正直言って努力なんていらないです。好きなことを突き詰めて、より楽しくなれば万事解決。
気付けばそこそこの結果が出ています。やはり楽しいことを追求するっていうのは、今の自分に合っている感覚です。