あけましておめでとうございます。
とはいっても全然いつもと変わらないので、個人的にはゆっくりする時間を増やすくらいでしょうか。
そういえば新年の挨拶をするのが面倒だったなぁ、と思い出しました。
新年の挨拶を面倒に思うのは変なこと?配慮する部分が多くていつも疑問だった
新年早々へんなこと書いてんな~と思いますけど、もはや私は他人をなりふり構うことはいたしません。
もうね、新年の挨拶をしなきゃって思う時点で非常に面倒だったんですよね。
新年の挨拶をしなきゃって思うのが面倒
勤めていたとき、新年明けると朝の挨拶がけっこう面倒だなぁって思っていました。
- とりあえずお偉い人に挨拶か…。
- その日初めて会う人にも言わなきゃな
- 普段話さない人も言っておくか
- となると早めに出勤しなきゃいけないのでは?
- あーお客様にも言わなきゃ、誰に言ったか把握しておかないと
- シフト合わない人ってやっぱり三が日までは言うべき?
と毎回思っていたんですよ。人によっては自然と行えるのかもしれませんけど、私は前日にこんなことを考えるのが億劫でした。
仲良くしている人でも、3が日過ぎて会ったらあけおめって言っとかなきゃならないだろうし…と、無駄に考えることが多かったんですよね。
新年で改めてよろしくっていうのが疑問
自分でも変なこといっているのは十分承知の上なんですけど、新年で改めて「今年もよろしく」っていうのが疑問でした。
いや、会う度・お世話になる度よろしくですよ!なんなら今日もよろしくですよね!って、ただ反抗期の子供みたいな。
もちろん「おめでとう」の背景は年神様を迎え入れる行事にあるとか、そういった歴史はわかります。
ただどうでもいいことに疑問を寄せる変な性格のため、やっぱり思考停止して形式的に行うのは嫌だったんですよね。
できるならふつうに過ごしたい
昔はよく「そんなかしこまらずに、いつもどおりの挨拶でいいじゃん」と思っていました。
イベントで騒がなきゃ!とか、節目だからしっかりしなきゃ!というのが元々苦手だったのもあるでしょう。
天の邪鬼なだけかもしれませんけど、正月だから一様に祝うという出来事にストレスを感じます。まぁ間違いなく少数派です。
ただ今年はほとんど人と大きく関わることがないので、刺激が少ない正月を過ごせております。
まとめ:実際のところ挨拶はどうでもいいのかもしれない
形式的に行うものでも、相手が気分良くなってくれればいいか…とも思います。
まぁ楽しいことを追求できれば万事OKでしょう。今年もよろしくお願いします!