時折感じることなんですけど、事実を把握しようとして「一体どういう状況?」と聞くじゃないですか。
そうするとなぜか「怒られる!」と先回りをして返答せず、全く見当違いな発言をされるとどこからツッコミいれるべきか非常に悩むんですよね。
怒られる!と思って先回りをして結局問題が解決しないのは非常に面倒
もう先回りして対策を考えているなら別なんですけど、大半は自分の保身で「怒られないようにする」という無駄な遠回りなんですよ。
保身とか問題解決の邪魔でしかないし、そもそもそんな考えがあると進まない。同じ問題が起きる。とツッコミどころが多数です。
怒られると思うのは落ち度を認識しているから
怒られるって思うのは、例外を除いて「自分に落ち度があるから怒られる」と認識している場合が多いです。
その落ち度を自覚して改善のために行動するならいいんですけど、なぜかその場しのぎの保身に走るんですよね。
まぁスルーしてくれる人なら通じるかも。私の場合はスルーしてしまうと問題の先送りでしかないと考えるので、逆に面倒ごとが増える前に対処します。
怒られたくないなら正しい対処をすればいいのに、なぜか悪い方向へ行っちゃうんですよね。
事実を確認してどこに問題があるか探ろうとしている
私も実際に言い訳をする人に対して詰めることがあるんですけど、もはやミスしたことはどうでもいいわけです。
そんなことよりもどこに問題があるのか、本人が無自覚なのか構造上の問題なのかをしっかり確認したい。
なのに確認以前の問題になっちゃうんですよ、言い訳をされると。まずその言い訳をしてしまう思考に対して正さなきゃいけないわけです。
淘汰するようなイメージで、言い訳をしたら地雷ぐらいに対応していると言い訳を受けることが少なくなります。
大切なのは同じ過ちを繰り返さないこと
誰だって間違いは起こしてしまうので、ミス自体は仕方ないと考えています。ひとつの過ちが命取りになるような高難易度の仕事ってそうそうないですし。
ただ大切なのはミスをしてもいいから、同じ間違いを繰り返さないように工夫することだと強く思います。
せっかく立派な頭脳がついているので、ぜひ活用してもらいたいです。少しの工夫で同じ過ちは繰り返さなくなるわけですし。
そんな前向きに問題を捉えようとしているのに、自己保身で解決以前の問題にしてもらいたくないんですよ。
まとめ:怒られたり詰められたりするのは問題への捉え方なのかもよ?
前向きに問題を解決しようと思ったら、そもそも自己保身なんて考えないですよね。
ぜひとも自己保身で言い訳を考えちゃう人は、広い視野で問題に対して向き合ってもらいたいです。