うえのブログ

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他人がいいと思ったものを自分のいいものと認識していないだろうか

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少しタイトルがわかりづらいんですけど、要は「他人の価値基準で自分がいいと思うものを決めていないか?」という意味なんですよね。

他人がいいと思ってくれないものは、好きじゃないと。多くの方が見て「いいね!」と言ってくれるものに、価値を感じるみたいな状態です。

自分にとって絶対的な価値を優先しつつ他者の価値基準に理解を示す

基本的に私がなにかを選ぶときは、自分にとっていいものかどうかを選び抜いた上で決定します。

ただ常にアップデートは必要です。客観的な意見として他者の価値観を取り入れないと、間違った方向に進む可能性もあります。

他者が求めているものを推測するのは大切

基本的に多くの人は、誰かに価値を提供し続けて生きているはず。そして他者がなにを求めているか推測するとき、価値基準を相手に合わせる必要があります。

「どうしたら喜んでもらえるだろうか」「なにを求めているんだろうか」コミュニケーションに限らず、人と関わる上で重要な要素ですよね。

ただこの価値観って相対的に変わるので、人によっては価値がなくなるじゃないですか。だからこの価値観を自分基準に当てはめてしまうと疲弊します。

行き過ぎると、誰かが認めてくれないものに価値はないと思ってしまいがち。ある意味正しいけど、客観性がないと消耗しやすいです。

環境が変わればコンプレックスも変わる

コンプレックスなんかも、他人と比較して生まれるわけですよね。学歴コンプレックスだって、周囲の学歴が低くなったら急に自分の価値が上がったように感じます。

自分は太っているとコンプレックスを抱いていても、周囲がふとっちょだらけになったら安心するはずです。

劣等感が競争心を生んで、より高みへ登るための原動力になることもあります。ただある程度、素の自分を受け入れることも必要です。

むしろ自分にとってなにが大事かを理解した上で、うまく他者の価値基準を利用するほうが効率いいかもしれません。

自分が本当に求めているものを選び抜く

もしかしたら他者の評価を気にしてしまう人は、自分に自信がないというパターンもありそうです。

ただあんまり自信って考えなくてもいいと思うんですよね。どこまで行っても他者が責任を取るわけじゃないし、自分がどうしたいかっていうのは根源的な欲求です。

もしくは小さなことでもいいから、自分にとって正しいものを選んで正当に評価するクセをつけたほうが良いかもしれません。

他者にとって悪いものでも、自分にとっては非常に良いものである可能性があります。少しずつ選びぬけば、自分の選択に自信は出てきそうです。

まとめ:他者とのコミュニケーションを円滑にするのはいいけど自分基準にしちゃダメ

結局自分の基準にしてしまえば、他者との交流面で非常に楽ちんだとは思います。私もそう思っていた過去がありますし。

ただうまく利用して他者の価値に染まらないならいいけど、自分の基準にしてしまうのは危険です。自分にとってのいいものは、自分でしか選べないですからね。