今回ゆきにー (id:yuki_2021)さんの記事で、「働く理由」についての考察がとても興味深かったので自分でも考えてみました。
働く理由は人それぞれです。けど一切働かなくて良くなったとしても、社会となんらかの関わりを持たなければ病むと思うんですよね。
ゆきにーさんの記事はこちら。
人が働く理由は生活のためだけじゃなく社会との関わりも大きいと思う
生活のために働くって方は多いと思うんですけど、じゃあその生活基盤が保障されたら?一切働かなくても良くなったら、かなりヒマになりますよね。
しかし社会から一切断絶されて存在価値を見いだせなくなったら、確実に病みます。精神力がとても強い人じゃないと、自己を肯定するのは難しいはずです。
自分の場合は全力でヒマつぶしという感覚
現在の私は事業主として好きなことを好きなだけやっているせいか、あまり仕事という感覚がありません。眠たくなったら寝るし、気が乗らない仕事は断ります。
小さい規模ながらある程度スタッフがやってくれるし、最前線に自分が立つ必要もありません。でも何もしないのは苦痛なんですよね。
もしベーシックインカムが実現したり、間違って大金が手に入ったりしても働き続けている自覚があります。
ちなみにヒマつぶしと書いていますけど、テキトーではなく全力です。休み取ることもほとんどないし、めちゃくちゃ頭使って電池切れのように寝ちゃいます。
誰かの役に立ちつつ好きなことができれば効率いい
仕事とか働くって世間一般の考え方だとあんまり好きじゃなくて、無駄な努力や苦痛を伴うイメージがあります。
逆に自分の好きなことが誰かの役に立てば、効率いいよなぁって思うんですよね。理想ではなくて、限りなく近づけることはできるはずです。
その状態になれば見返りを求めずに質を上げられるし、成長とともに他者からの肯定が数字となって反映されていきます。
ただ働く理由を考えたとき、苦痛を伴う前提で考える人が多いなぁと思う印象です。
手段を限定しなければ好きなことと役立つことは両立できる
結局のところ仕事といっても、人対人であることは変わりません。どうやって相手の困っていることを都合よく助けられるかでしょう。
相手を助けようとしているとき、自分の肩書きなんて関係ないですよね。だから自分が何者であるかって、とくに固定しないほうがいいって思います。
肩書きに依存すると、手段が限定されるんですよ。例えば自分をライターだと思っていたら、ライティングでしか顧客のニーズを満たせないと思ってしまうみたいな。
でも限定しなければ、自分の好きなことで相手を喜ばせられる手段って必ずあるはずです。
少し脱線しましたけど、人生の大半を費やすものに苦痛は極力ないほうが良いなぁと思っちゃいます。
まとめ:つまり働くのは最高のヒマつぶしであると感じる
私は趣味とか楽しいことがほかになく、結局ヒマになれば仕事をしてしまうような性格です。つまり仕事しかなくて特化してしまったと。
しかし働くとヒマを感じず成長できるし、簡単に他者からの肯定が手に入ります。人生の幸福度が上がりやすい手段です。
少しゆきにーさんのエントリーとは違うけど、触発されて働く意味を自分に問いかけてみました。勝手に共感度バカ高くなっていた良記事です。