うえのブログ

気になったこと、思い立ったこと、調べてみたことなどを書き留める場として使っています。

変化をしないのが良いことだと思い込んでいた時代もあった

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以前までは不変が良いものだと思っていて、変わることを否定していた気がします。

ただその状態は今振り返ってみると、くだらないプライドを優先していました。そして変わらないことで安心しようと思っていたかもしれません。

変化を受け入れると理解できないものを認めてしまうことになる?

自分が理解できないものって、なんだか怖いですよね。ひどい場合だとよく老害認定されるような、過去の無駄な経験を美化して強要する人もいます。

ただ私もけっこうこの意識に陥っていて、変化しないことが良いことだと勘違いしていた可能性が高いです。

変化を受け入れたくなかったと思う

新しいものを取り入れようとすれば必ず反発し、問題点を指摘して受け入れないことを正当化していました。

問題点との向き合い方は今でも正しいと思っていますが、新しいものに対する姿勢は間違っていると強く感じます。

ただ視点の違いもあって、遠くを見ている人は常に変化する状況を察知します。近くしか見ていない人は、現状しか察知できません。完全に私は後者でした。

そしてプライベートでも新しいものへの挑戦は否定的で、自身の成長をも阻害していた状態です。

成長は変化すること

ここ1~2年の私はかなり大きく変化し、むしろ自分を今までのように固定しないほうがいいとさえ思っています。

というか成長しないと、自分が求めているものにたどり着けないと感じました。成長はつまり、変化を受け入れることでもありますよね。

現在の考え方が定着してから、過去の自分があまりにも愚鈍で自身の成長を止めていたことに気付きました。

しかも成長していくとまた新たな視点が生まれて、できることや挑戦・関係する数字が伸びて楽しいです。ただし楽しくないことはやりません。

変化することが必ずしもいいことではない

まるで変化を楽しもうみたいな意識高い系ですけど、必ずしも変化が良いことだとは思っていません。

変化が恐ろしいほどストレスになってしまう方もいて、うまく自分の力を発揮できない可能性もあります。

大切なのは強要しないこと。自分にとっての良いことは、他人にとっての良いことになると限りません。

どんなに良いことであっても、相手が求めてなければただのうるさいお節介です。内容は違うと主張したところで、老害認定されてしまうのは避けられないでしょう。

まとめ:変化すると楽しいけど周りに強要するのは違う

過去の自分は変化しないことが正しいと思い込んでいたけど、実は変化が怖くて正当化していただけでした。

そして現在は変化が楽しい境地に至っています。しかし誰かに押し付ける気はありません。