うえのブログ

気になったこと、思い立ったこと、調べてみたことなどを書き留める場として使っています。

インプットって必ずしも頭を使ったり勉強したりするものだけじゃないと思う

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よくインプット、アウトプットって言うじゃないですか。そしてインプットは本を読んだり勉強したり、何かと頭を使うことだけ限定みたいな風潮が感じられます。

けど頭を使うことだけがすべてじゃなくて、インプットやアウトプットってもっと広い範囲で捉えられると思うんですよね。

すぐに役立つことや頭を使うこと以外でもインプットは有効だと思う

極端な話、なんらかの消費行動をしていればインプットにつながると思っています。読書や勉強、ほかにもアニメやエンタメ全般から外食・買い物まで。

ただ大切なのは、そのインプットをどこで発揮するか?という部分でしょう。意外と目に見えない部分で役立っていることもあり、一概に否定はできません。

ほとんどのものは良質なインプットになる

そんなインプットはダメだ!みたいな否定は、あんまり良くないかなと思っています。どんなものであれ、活かし方次第で良質なインプットに変化するんですよ。

しかもその活かせる瞬間って、明確なものからわかりづらいものまでさまざま。本人も無自覚な場合がたくさんあります。

意識的にアウトプットする場合も、方向性を間違えるとあまり意味がないものになるでしょう。

だからこそ自分にとって大切なものを自覚して選んで、継続しつつ洗練させるといいかなと思います。思考停止や依存だと良くないです。

自分の精神安定に使う場合は注意が必要

たとえば周りから見て「なにやっているんだ?」という消費行動があっても、その行動が自分の精神安定につながるなら良いインプットです。

しかし依存してしまうのは違います。精神が一時的に不安定となった状態で、落ち着かせるために何かを取り入れるのは良いことでしょう。

ただその習慣を取り入れたら、得られるものが多いか少ないか客観的な判断が必要です。何も考えずに続けていないか、本来の目的と違っていないか。

一時的な精神安定として使うならまだしも、根本の問題解決をしないといつまでも負の連鎖から抜け出せません。その行動に依存してしまうとリスクが高いです。

サボってみるのもいいインプットになる

何かすべきことから逃げて、一時的に自分の好きなことをしているとするじゃないですか。実はその状態って多くのものを得ていますよね。

そしてサボった結果、やっぱり仕事はしっかりやらなきゃなーって自覚につながることもあります。ほかの人が仕事をしている間、違うことを学べますしね。

正当化ではなく、サボったことがある人とそうでない人の違いは現実大きいです。ただどちらが正しいという意味ではありません。

どの行動も学びになるって思って活用できれば、後ろめたさもなく前を向けるなぁとふと思った話です。

まとめ:インプットよりもアウトプットを気にしたほうがいいかもしれない

どんな行動もインプットになると思えるなら、大切なのはそのインプットをどう活かすかだと思います。

意外とインプットを高貴なものと捉えて、自分を否定する人が多い印象です。もっと広い意味で捉えてふてぶてしくなればいいのになぁと。