割と言い方がキツイと、よく言われます。私としてはオブラートに包んでいないから、そりゃキツイよなぁと思うのです。(自覚あり)
でも相手がどう思うかも含めて、しっかり伝えてあげられる人は少ないと感じます。言い方キツいのが嫌なら、離れればいいですしね。
伝え方の問題を意識してもそこに割く手間を考えたらデメリットは多いなと感じる
自分の過去を振り返ったとき、めちゃくちゃ伝え方を意識していつも柔らかいみたいなことを言われていた気がします。
今は真逆です。しかし比較した際、伝え方を意識するってけっこう無駄が多いんですよね。伝え方よりも在り方のほうが大切だと強く感じます。
オブラートに包んで喜ぶのは他人だけ
オブラートに包んで相手が気分を害さないようにしていると、長期的な視点で見て自分の気分を害していきます。
経験上ですけど、徐々に相手の気分が判断軸になりがちなんですよね。進行していくと相手の顔色まで伺うようになります。
もちろん適度な範囲で自分のご機嫌取りができて、なおかつ他人との距離感を保てる猛者なら問題ないです。
しかし多くの場合、自分の行動を客観的に判断し続けるのは難しいでしょう。良くも悪くも人は成長するし、悪い方向へ向かい続けても自覚しづらいです。
伝え方を工夫する手間は無駄で熱量が損なわれる
例えば何かを伝えようと思いついた瞬間があるじゃないですか。その瞬間にすぐ伝えようとしても、伝え方という加工を施せばタイムラグが生じます。
このタイムラグって、数をこなしていくとかなりの無駄になるんですよね。脳のリソースも使われるし、時間もかかってなかなかの重労働です。
その間にどんどん最初の熱量が失われていって、いいアイディアも冷めるし自分の思考が鈍化していきます。
思った瞬間にパッと発言できる世の中だったら、かなり思考がクリアになると思うんですよ。さすがに無加工は厳しいので、ある程度の思いやりは大切です。
最小限の伝え方を意識すればどんどんアイディアが生まれる
私が現状、今の伝え方に移行したのは以下の2点が大きいです。
- 無駄な時間と手間を減らすため
- 思考の回転を早くするため
伝え方を工夫しようとすれば、どうしても言葉の加工に時間がかかります。頭の使い方も工夫しなきゃいけないし、意外と手間が大きいです。
この重りを消し飛ばせば、かなり頭が軽くなります。体感値だと、倍以上はポンポン言葉が紡ぎ出せる感覚ですね。
そして手間と時間が解消されると、かなり頭の回転が早くなります。相手が伝えてきた言葉の2手、3手くらい先は読みやすいです。
まとめ: