私は他者の悩みごとに興味がありません。正確に言うなら、他者の悩みと自分の悩みは全く別の存在だと思っています。
昔は他人の悩みに心を痛めていたし、なんとか寄り添いたいとか思っていた時期もありました。でも実際のところ、自分がヒマじゃないと寄り添えません。
人生はもっと自分のやりたいことに時間を使って楽しく生きたほうが好き
諸先輩に知ったふうな口を!と言われそうですけど、人生は思ったより短いと感じています。気付けばあっという間に年を重ねていくでしょう。
なのに他人の悩みで時間をつぶすヒマがあるのでしょうか。私は今楽しいことがたくさん目の前にあります。そんなことに時間を使う余裕はありません。
他者の悩みごとって自分がどうにかできるものじゃない
どこまで行っても、他人の悩みは自分でどうにかできるものじゃない存在です。けど周りを見ていると、多くの方が誰かの悩みに翻弄されています。
確かに悩みは素晴らしい存在です。悩みがあるからこそ人は改善し、発展したりイノベーションが生まれたりします。
だからといって、その存在を自分ごとのように捉える必要はありません。悩みだってぶっちゃけ、相手が考え方を変えるだけで解決することが多いんですよ。
逆に考え方が変わらなければ、どこまで行っても解決することはないです。つまり最終的な判断は当人に委ねられています。
ヒマじゃないと相手のことなんて構っていられない
私は現在試したいことや実践してみたいこと、多くのやってみたいことがたくさんある状態です。
良い意味で時間足りないけど、如何にしてやろうかとワクワクしています。誰しも自分の趣味や楽しいことを前にしたら、ほかのことなんて考えないですよね。
だから正直言って、他者に構っていられる人は余裕があるなぁって感じてしまいます。もちろん好きでやっている方なら別です。
でも多くの場合、周りで悩みに心を傾けている人は消耗している人が多め。嫌なら受け入れるか切ればいいのに、と思います。
他者を気にしすぎないのが良いのかもしれない
私があまり悩みごとに興味がなく、話すら聞かないのは公言しているんですね。なので一部で薄情者とか、人の感情がないとよく悪口を言われます。(公認)
でもこの在り方のおかげで誰かの悩みに翻弄されることもないし、客観的な目線から受け入れることもできます。
正確に悩みの元をあぶり出して対策を整えるには、悩みと向き合わなくちゃいけないですからね。
感情で聞くんじゃなくて、理性で聞くようなイメージでしょうか。共感してほしい場合は割と時間の無駄になることが多いです。
まとめ:どこまで行っても他者の悩みは自分でなんとかできるものじゃないと知るべき
なんとかできるものじゃないと知った上で、どう行動をするかというのは非常に大切です。
聞くだけで救われる人もいるし、受け入れることで見えることもたくさんあります。