やりたくないので拒否します!なんていう会社員がいたら、めっちゃワガママだなコイツって思われますよね。社会じゃ通用しないとかなんとか。
けどその「やりたくないこと」って前提を間違えるとホントただのワガママで、しっかり自分でも見失わないよう見極めておく必要があります。
やりたくないことってつまりどういうこと?前提を間違えるとワガママになる
やりたくないことをやっている状態というのは、つまり自分のイメージとは違う状態に行こうとしているとき。
なのでイメージに合っていれば、ツライことでもやり抜く必要があります。この工程をすっ飛ばせば、何もせずに結果を得たい理論となるわけです。
目的や未来を考えたときにかけ離れているかどうか
単純にツライことや大変なことをしているとき、意味をわかっているならやり抜けると思うんですよ。筋トレなんかも似たようなものかもしれません。
そのツライことや大変なことさえしたくない。だけどその先にある結果がほしい、という考えだと難しいです。
つまり「やりたくないこと」というのは、自分の目的やイメージする姿にないものを意味します。
何にもメリットを感じられないし、やる意味がないものはやりたくないですよね。
時間がない状態でも全く違う
よくいう「時間がない」という言葉、どういう状態だと思うでしょうか。やりたいことがあるのにやれないとき、そういった発言をしているはずです。
だからものすごく単純だけど、やりたいことをやれていればストレスは溜まりません。やりたいことがやれないから、ストレスが溜まるわけです。
私は現在独立してやりたいことしかやっていない生活を送っています。しかし圧倒的に時間が足りない状態なんですよね。
なのに全くストレスはありません。自分が求める方向へ着実に歩んで行けているため、むしろ進みたくて以前よりもブラック企業化している気がします。
本当に自分の思い通りに進めているか?
今の生活で何も不満がない人は全く問題ないかと思います。
しかし少しでも「何か違う」と不満を覚えている人は、果たして自分の望むとおりに進めているか考えたほうが良いかもしれません。
現実問題その行動をするのは厳しいと思っている人も、大半は「やりたくないこと」を我慢してたくさんやっていることが多いです。
そのやりたくないことを少しでも減らすだけで、充実度が大きく変わります。だからやりたくないことを切り捨てるのは、非常に重要なことなのです。
まとめ:やりたくないことの切り捨てはワガママじゃなく自分のイメージに近づけさせるだけ
過去に「その作業無駄じゃないですか?」と言って、よく社内炎上したものです。けど面倒だからというわけではなく、目的を見据えた上での発言でした。
でも反論してくる多くの人は、思考停止して目的より「誰が言ったか」を重視するんですよね。
なのに目的を重視しようとするので、反対方向に引っ張り合っている感じでした。なにやっているんだろうなぁ~みたいな。