うえのブログ

気になったこと、思い立ったこと、調べてみたことなどを書き留める場として使っています。

習慣としてやっていることでもすべて良いものかと言ったらそうでもない

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習慣化していることって客観的に見たら、無駄だったことってたくさんありますよね。しかも本人が無駄かどうかをわかっていないことも多いです。

改めて今習慣にしていることが無駄じゃないか、いい影響をもたらすものなのかよく考えておく必要があるなぁと感じました。

習慣化していることで無駄だと切り捨てれば悪い影響になることもある

個人的に運動の習慣って、非常にいい影響があるけどわかりづらいなと思います。とくに続けていると、いい状態が当たり前になりますからね。

だからこそいい影響かどうかはあらゆる側面から判断しなきゃいけないし、切り捨ててもまた戻そうとする力が働きます。

無駄だと思う習慣はなぜ無駄なのか

習慣にしていることでよく無駄と言われるのは、その行動がどんな結果に結びつくか考えていないときです。

そりゃ体力をつけたいと言いながら、ずっと引きこもりをしているのは矛盾しています。

でもこんな単純な例は置いといて、本来抱える問題はもっと複雑でどんな影響があるか計り知れません。

一見無駄に見えなくても、実は目的を達成する上で遠い行動を取っている場合があります。

どんな行動を取って評価すればいいのか

よりはっきりと効果を証明するなら、とある行動を辞めてみてどんな影響があるか正確に把握しなければいけません。

私は定期的に運動をしていて効果がはっきりあるかよくわかっていませんけど、辞めたらなんとなく不調で寝起きが良くない実感はあります。

でもホントなんとなく…ってものが多いんですよね。とくに人の不調とかは、オプション付け替えてハッキリ効果が出るってものじゃないですし。

うっかり先入観だけで判断してしまいそうだし、気付けば習慣化してそもそも疑問を抱かなくなることもありそうです。

こういうときは第六感が意外と役立つときもある

個人的な感覚ですけど、意外と「もしかしてあの行動がダメだったか…?」と考えるときって当たるんですよね。

構造的にしっかり考えて答えを出すのは正確です。しかし言葉じゃ表せられない微妙な感覚や、飛び抜けた段階に飛躍して考える際は第六感が優れています。

もちろん第六感が優れていない人もいるし、個人差は非常に大きいでしょう。だからこそ疑問に耳を傾けるようにして、少しずつ仮説を立てるのが良いかと思います。

ほんの少しの疑問を逃さないようにしていれば、少しずつ第六感の精度が上がるし論理だけで考えるより思考の幅が広がるはず。

まとめ:思考停止して習慣化を推し進めていると無駄なことをしている場合がある

自分のレベルアップに伴って今までやっていたことが無駄になることもあるし、定期的に振り返る必要もありそうです。

なんでもかんでも、ただ続ければいいってわけではないですね。