まるでさも自分の心を見透かしているかのように、共感できることを言ってくれる人がいたとします。
すると考えどころか、その人自身を信用しちゃうことってありますよね。本来その人の一部分が全体に当てはまることはないのに。
どんなに素晴らしく良いことを言っていても信用に足る存在かどうかは別の話
その人の考え方自体は一部分が共感できても、自分と同じような判断軸で行動しているとは言い難いです。
「同じように考えてくれている!」「だからきっと同じようなところで共感してくれるはず!」なんて思っていると、思わぬすれ違いを生むことになるでしょう。
人の考え方と人格は一緒じゃないと思う
以前から考え方全体が人格に反映されるような、そんな感覚に違和感を抱いていました。
だってよく仕事で微妙な人がいても、プライベートじゃめちゃくちゃいい人ってたくさんいるじゃないですか。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いって言いますけど、本来は全く別物です。袈裟じゃなかったらその対象も変わるわけですよね。
つまり一方的に自分の気持ちを押し付けているだけで、残念ながらあまり合理的な判断とは言えません。
憎すぎて冷静な判断ができないとミスが増える
もう少し公正な目で判断できるようにならないと、何が正しくて何が悪いのかを正確に理解できないのではと思っています。
憎たらしくなる気持ちはわかるけど、不確定な要素で避けると目標達成の手段が限られる場合も多いです。
あとそういう傾向の考え方をしている場合は冷静な判断ができず、うっかり感情だけで判断しちゃってミスにつながることもあります。
なので二度目ですけれど、公正な判断軸で物事を見たほうが良いと思うのです。
良いことを言っていてもその人は良い人じゃない
とても共感できる良いことを言っていても、その人は良い人ではありません。逆に言えば、悪いことを言っているからといって悪人になるわけでもないです。
どんなに良い人であってもですよ、利害関係が一致しなければ悪い人になるでしょうし。相手からしても悪人に見えちゃいます。
良い悪いは状況次第ですぐ好転するし、場合によっては刻一刻と変化するくらい繊細なものかもしれません。
そういう前提で考えられないと、うっかり信じ込みすぎちゃって正しい判断は行えないなぁと思うのです。
まとめ:あくまで人の考え方は不定形で状況・環境によってすぐ変化する
固定できる考え方があるとすれば、より合理的に数式のごとく公正な見方が当てはまるのではないでしょうか。
感情に振り切ってもいいけど、個人的には損することが多いと感じます。