うえのブログ

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嫌なことから逃げたときの爽快感を味わうと追い詰め具合がよく分かる

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嫌なことが嫌であるほど、立ち向かわなくて良くなったらめちゃくちゃ爽快ですよね。もう嫌なことしなくて済むわけですし。

ただ意外と嫌なことって、自分で追い詰めちゃうから難しいんですよね。冷静に考えたら言うほど無理じゃないのに、論理じゃなくて感情が否定しています。

感情が否定していても論理的に処理しようとすれば無理が生じる

もう嫌だ、行きたくない!っていうときは、解決するとかそんなことじゃなくて「とにかく無理な状態」です。道理が通りません。

でもその状況から脱したとき、誰しも気持ちよさを感じると思うんですよ。大なり小なり。あの爽快感が強いほど、追い詰め具合がよくわかります。

何をしても無理なときは必ずある

過去に一度だけ、どうしても無理だと思って辞めた仕事があります。ただ自分では無理じゃないと思い込んでいたんですよね。

だからこそ問題の発見が遅れたし、論理的な解決をしようとして追い詰めていました。ただ本気で体に異変が起き始めていて、勇気を振り絞って辞職。

もうそのときの帰り道は最高でした。こんなに青空がキレイだったのか…なんて思っちゃうほど、逆に言えば病んでいたようです。

そこで初めて「物事は理屈でなんとかならず、感情で判断しなきゃいけないときがある」と悟ったわけですよ。

今でも無意識に追い詰めてしまうことがある

もう今は事業主なので仕事量をコントロールしやすいけど、たまに仕事量をミスったり安易に依頼を受けちゃったりすることがあります。

仕事量はまだなんとか出来ても、実は嫌な依頼だった…というパターンが最悪です。ただ全容はわからない段階なので、変に受けようかと思っちゃいます。

「やってみなきゃわからないことはたくさんある」とか言って。この思考によって無意識な追い詰めが始まり、やっぱり無理だった…となるわけです。

今はかなり嗅覚が発達したのか、そういう案件は減りました。けど気付けばあの爽快感を味わうことになるんですよね。

逃げることと逃げないことの境界線

ただしなんでもかんでも逃げていたら、話になりません。マッスルボディになりたいけど筋トレは嫌だって言っている矛盾と変わらないでしょう。

なので嫌なことの先にある目標を見据えて、通過点を我慢できるかできないかだと思います。

我慢できなかったら、嫌なことの先にあるものは諦めるしかありません。また違う目標を見つけて、行動すればいいだけの話です。

個人的には諦めず探していれば、いつかスムーズに通過点も目標も突破できるものが見つかると思います。

まとめ:とにかく嫌だと思うものは体壊す前に逃げるのが正解

まだ逃げることと逃げないことの境界線を探れるうちは、余裕がある証拠です。知らないうちに麻痺して立ち向かおうとしていれば、そんな考える余裕はありません。

そしてある日いきなりプツッと切れるでしょう。私は直前で回避できたから良かったけど、あのまま立ち向かっていたら今でも苦しんでいたかもしれないです。