一般的に自分が注力し続けたもので、思うような結果が得られないとき。壁にぶち当たったときって萎えるじゃないですか。やり方間違っているのかな~とか。
でも逆に今まで以上のパワーを発揮して、壁も破壊しちゃうくらいな人って様子おかしいですよね。
萎えるところでも加速できる人は正しいけど多くの人は実践できない
ふつうに考えても、今まで頑張ってきたものが報われない感覚って超萎えますよね。むしろそう思うのが一般的です。
なのになぜか壁にぶち当たると、逆に燃える方がいます。そういう方はそもそもの熱量が違うので、一般的な常識が当てはまりません。
自分の体力とか全く関係ない
萎えるところでも加速しちゃう人は、「えっ?おかしい!ならとりあえず燃料投下してみるか」ぐらいな感覚です。
手っ取り早く現状を打開する選択肢が「ひとまず注力する」になっていて、いわゆる力こそパワーみたいな加速を生み出します。
この状態って自分の体力とか関係ないんですよね。むしろ力でゴリ押しすれば怯むだろう…ならどれくらい持ちこたえられるかな?と燃えるわけです。
なぜその状態に至るのか?元々の性質もあるけど、実は見ているゴールが違うことも要因の1つでしょう。
急に勝負が始まってしまう
多くの人は挑戦し続けている時点で、すでに報われることを夢見ています。つまり1足したら1以上、1.5や2になって返ってくるみたいな。
しかし何も得られない状態になることを嫌います。注力した分だけ返ってくるって思うから、反応がないと精神的に萎えちゃうんですよね。
反応がなくても注力し続けられる人は、いい意味で違う勝負に持ってっちゃいます。どっちが先に折れるか、反応が出るまで勝負だ!みたいな。
もうこの状態になるなら、萎えるはずがないですよね。むしろ加速し続けられる精神状態がよくわかります。
一見考え知らずだけどけっこう合理的
どんな物事も、新しく始めようとしたら停滞期が訪れます。その停滞期でも粘り強く注力し続けられるかどうかで、成否がハッキリ分かれるでしょう。
一定の成果を求めるなら停滞しようが何しようが、常に注力し続けるのが理屈です。なおかつ吐き出される反応を見て、どうするか自分の取り組み方を変えていく。
停滞しても加速する人は謎の勝負に持っていくので、恐ろしく得られる反応に鋭くなっています。
つまり実はパワーでゴリ押しをしつつ、さらに反応を見ながら手段も変える頭脳派な一面があるわけです。
まとめ:ただ闇雲に加速するんじゃなくてなんとしてでも反応を引き出したい
ただし割と理屈には通じるけど、感情には弱い面があります。新規事業とか勝負ごとは良くても、人相手だとウザがられちゃったらおしまいです。
一度嫌悪感を持たれると挽回するのはかなり繊細な動きを要するため、アピールし続けるのが逆効果となる場合もあるでしょう。