おそらく多くの人は、自由気ままに自分の過ごしたい時間をたくさん過ごしたいですよね。
けど社会としてはその状態を許しません。他人の人生に時間を費やせたら、褒められて認められるけど消耗していきます。
どれだけ自分の過ごしたい時間を選択できるかで幸福度は変わると思う
おそらくお金がなくても、自分が過ごしたい!って思う時間を過ごせれば、人は幸せを感じると思うんですよ。
そしてその時間をどれだけ伸ばせられるか。その選択にかかっているんじゃないかと感じるわけです。
自分の過ごしたい時間を選択すること
ツラいことも楽しいことも、すべて合わせて自分の選択なら間違いなく楽しいです。まぁ人によっては自分の選択でさえ、責任を他人に転嫁しますけど。
ただ多少ハードな仕事でも、自分が本当に好きで楽しいことなら続けられますよね。打ち込んだ結果、見え方が変わって転職することもあります。
自分の過ごしたい時間というより、言い換えれば自分のコントロールできる状態にあるかどうかが大切なはずです。
もし仕事辞めたくなっても、いつでも辞められる(つまりコントロールできる状態)と思っていれば多少の我慢ができます。
うまく選択して自分に良い時間を取り入れる
ただし自分の過ごしたい時間ばかりを過ごすと、社会生活は成り立ちにくいです。すぐに思い浮かぶことが多いのは、収入面でしょうか。
だからうまい具合に取捨選択したり、範囲を変えたりしてバランス感覚を保つのが現代の処世術じゃないかと。
そう考えると圧倒的に自分のやりたいことと選択を見誤っている例は多く、負担に耐えきれず心身を痛めつけている方は多いです。
でも死ぬ間際に、自分の若かりしころの選択を責める人なんていないですよ。選択しなかった後悔のほうが確実に強いです。(多分
ゴールを見ればどう引き算していくかだと思う
タイトルにもあるとおり、最終的にはみんな自分の都合が良いように生きられたら一番いいはずです。
そのゴールが絶対であるなら、今いる現状との乖離を計算してゴールから引き算していくのが良いでしょう。
現状から足し算していくと、ゴール直前で気を抜いてタイムに影響が出る状態と同じになってしまいます。
私は自己中に生きたいので、少しずつゴールから引いて好きなことと現状の生活を調整しました。結果的に好きなことへ打ち込めば、望む生活の安定が得られています。
まとめ:嘘をつくより自分中心に生きていたほうが絶対楽しい
なので私から見て自分に嘘をつき、自己満足に浸る人は偽善的です。そもそも善悪という区別も怪しいけど、自分に嘘をつくかどうかで偽善とします。
この段階にいると、他者の反応は二極化するんですよね。嘘をついている人ほど否定的な印象です。