うえのブログ

気になったこと、思い立ったこと、調べてみたことなどを書き留める場として使っています。

正攻法はほとんどの場合通用しないから視点を変えたり突き抜けたり

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今まで自身が超真面目だったので、正攻法こそ一番正しいって思い込んでいました。もちろん生き方によって違う場合もあるでしょう。

ただ私は正攻法を夢見て失敗続きだったわけです。手のひらを返して手段問わなくなったら、多くの場面で好転しました。

正攻法って王道だしもてはやされるけど実際のところ厳しいよね

誰しも正しいことをしたいって思うし、工夫なんてしないで真正面から突き抜けたいはずです。

けどどんな場面でも、正しい方法で異常な結果は出せません。よほど先行者が少ないとか、運が超絶優れているなら別です。

求めるものは一体何なのか?

そもそも自分が目的とするものは何なのか?という考えからスタートします。例えば素晴らしい結果を出したいとか。

でも期待値以上のものを求めているのに、正攻法のみで突き抜けるのは不可能です。投資した以上の結果になるのは、よほどの運がなければ無理でしょう。

もちろん大した結果を求めていないなら、そのやり方で十分かもしれません。もしくは「正しいことをしている」とかいう優越感なら問題ないです。

しかし周囲を見ていると多くの人は、チマチマした作業で大きな結果を期待しています。そして求めているものと矛盾している状態です。

正攻法で成功した人は量が異常

確かに正攻法で成功した人もいます。求めているものを追うのに、正しい攻め方でなんら工夫はしていない。

周囲で自分が望むような結果を手に入れている人って、そういう「自分でもできるんじゃないか?」感を出しますよね。

けどよほど運が強い場合を除き、正攻法は結果が出ません。結果を出している人は作業量が尋常じゃありません。

正攻法も数をこなせば暴力です。そんなの正攻法とは言えないですよね。そのポイントを理解しないで、ただ手段だけを見ています。

手段を問わず達成したら景色が違った

自身の話に戻ります。結果として今はズルいことや、正攻法とは言えない手段を取ることが多いです。

でも達成したいものに対して、達成したい行動を取っているだけなんですよね。多くの人は、達成したい目標と行動が相反しています。

だからうまく達成できず、「なぜだろう」と嘆くわけです。この差異をうまく調整できれば、誰しもストレートに目標達成へ向けて行動できます。

目標達成したいけどできない。そんな状態より、打ち立てた目標を達成し続ける。どっちの景色がいいかって話です。

まとめ:正攻法が悪いのではなく正しいことが良いことと思い込むのは危険という話

正攻法が万能みたいな、神のような雰囲気ありますよね。実際のところそんなのまやかしです。

例えば正義とか正しいことって、立場が変われば反転する可能性もあります。正攻法はあくまで1つの手段。どう活かすかじゃないかなぁと思うのです。