先日りと (id:rito-jh)さんからいただいたブコメが非常に興味深く、もうちょっと考えてみるかと思った話です。
同じ漢字を使うのに、意味が違うって不思議ですよね?もしかしたらきっと解釈が違うのかなぁと思ったのです。同じ漢字を使いますからねぇ。
楽しいとラクは同じ漢字を使っているのになぜ意味が違うの?捉え方の違い?
同じ漢字を使っていても、楽しいはどちらかというと能動的な印象ですよね。対してラクは、どちらかといえば受動的。受け身な感覚を覚えます。
かといえば苦労の先に覚える楽しいもありますよね。そう考えるとラクと楽しいはまるで相反するもののようです。
なのになぜ同じ漢字を使っているのか?なんだかよく考えてみる必要がありそう。
ラクをサボるという認識?
ラクをするっていうと、なんだか悪い印象に聞こえるのは元ブラック勤めだったからでしょうか。いやいやそんなことはないはず。
おそらくサボるという認識に聞こえるから、なんだか悪いもののように扱われている気がします。
しかしラクというのは本来違うもののはず。よく先人たちから「ラクをするな!」みたいに言われているじゃないですか、そのせいで悪いイメージがついたのかも。
でも現代社会なら仕方ないかもしれません。私も現に、ラクを求めすぎると良くないなぁという解釈で記事を書いてますし。
ラクはサボることとは違う
解釈が違うんじゃないかなぁと感じたのは、ふと「ラクってサボることじゃないよな」と思ったからでした。
ラクってつまり、心身的な負担が取り除かれた状態じゃないですか。逆にサボらず取り組む事例といえば、下記のような例です。
- 結果を出すために仕事を無我夢中で頑張る
- 生活ができなくなるので身を粉にして働く
- あの人に負けたくないからもっと集中する
上記の状態は明らかに負担が大きいです。ラクとは無縁だけど、もしかしたら到達したときに「楽しみ」を見出すかもしれませんよね。
ラクは楽しむことなんじゃなかろうか
けどラクがサボることじゃないとしたら、なんでしょうか。ラクの意味にある、心身的な負担を取り除いたらどうなるかという部分。
- 結果に固執せず目の前のお客様と向き合う
- 現在の収入で足りているから無理に働かない
- 勝ち負けではなく過程を大切にする
要は肩の力を抜いて、ラクな姿勢で取り組んで見ればって話なんですよ。この解釈だったら、ラクに結果を出せる流れとなるんじゃないでしょうか。
力が入っていれば楽しむこともできません。確かに楽しんでいるときって、あまり心身的な負担って無いように感じます。
「ラクになれば過程さえも楽しめる」だと思うのです。苦痛な過程を通じて、楽しみを見出すこともあるでしょう。
とはいえ無理やり感は否めない
少し深く考え方を探ってみようと思いましたが、一朝一夕じゃできないなぁと感じました。
思ったよりもグレーゾーンの幅が広く、「この解釈ならこっちが成り立たない」って状態になっちゃいます。
とくにサボることとラクは混同されやすいし、傍目から見てわかりにくいです。自覚の問題か?とも思うけど、強く思い込んでいたらどうなるんでしょうか。
ラクも行き過ぎたらサボりになります。かといって境界線は曖昧です。結果としてリターンが得られるなら良いけど、結びつかないこともありますからね…。
まとめ:ひとまずラクの解釈は違うんじゃないだろうか
もともとの語源と現代に乖離が生じている、というのもあるかもしれません。ただ自分なりに考えたら、ラクは力を抜くって解釈がすんなりした気がします。
というよりラクとサボる、この感覚を同じと考えてしまったのが悪かったかも。なんか違和感があったんですよねぇ。