うえのブログ

気になったこと、思い立ったこと、調べてみたことなどを書き留める場として使っています。

結局のところ正解は無くて自分にとって何が正しいかを判断していくだけ

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何かしら正解って求めると思うんですけど、その正解って正しいわけじゃないですよね。もっと言うなら、正解でもあるし不正解でもある。

状況や立場で答えは変わってくるし、時間でも変わる可能性があります。何が正しいのかを自分で決めれば、その答えが正解になってしまうわけです。

自分で正解だと思えばその答えは正解になるし疑えば不正解になってしまう

たまたま世間と自分の答えが一致することはあります。多くの場合は世間と一致しないか、間違っていると判断して途中で辞めてしまうでしょう。

自分の選んできた道が正しかったかどうかなんて、死ぬまでわかりません。いや死んでもわからないはずです。

自分が正解だと思えば正解になる

極論、自分が正解だと思えば正解になっちゃいます。思い込み過ぎるのは別として、自分がどう思うかは非常に重要です。

もし周りから見て満たされていないと思っていても、本当に自分が満たされていたら関係ないですよね。

ある意味じゃ正解なんてありません。もっと言うなら、自分にとっての正解を決めるだけじゃないかと。

少しでも自分が疑ってしまうと、逆の力が働いてしまいます。そうすると進むのがかなり難しいです。

間違えたと思えば逆の力が働く

心のどこかで疑っていると、確実に逆の力が働きます。なにせ疑っているわけですから、自信を持てず進みが悪くなってしまうでしょう。

かといって思い込み過ぎるのも危険です。周囲を顧みず、突き抜けるといつか反発が襲ってきます。

正しく自分の気持ちに向き合いつつ、納得できる選択をしていかなくてはなりません。

字にすると難しいけど、要は自分に嘘をつかないのが前提です。嘘をついた時点で少しずつ進行方向とは逆の力が働きます。

実際のところ正解はない

いくら考えたところで、正解はありません。しかし自分の求める理想像と現実は、どのくらい差があるでしょうか。

このギャップは自分が嘘をついた回数かもしれないですよね。でも実は不正解でもないし、正解でもないんですよ。

自分がそこで納得したら、その時点で正解です。数分後にやっぱおかしい…なんて言い出したら、不正解になるかもしれません。

つまり何が正解か、という答えを探すのはあまりに無駄です。他人を気にしすぎている場合もありますね。

まとめ:他人基準の正解とか不正解を探してしまうのは時間の無駄

正解って探す人は、自分基準じゃなくて他人基準になっている気がします。その正解を探すのはかなり難しい。

けど自分にとっての正解を探すのは、そこまで難しくありません。正しいと思えば正しくなります。