何か嫌なことがあったら、誰かにわかってもらいたいですよね。私も昔はよく「わかってもらいたい」が強かったような。
けどそんな嫌なことも含め、現在の自分があるわけです。嫌なことがあったから避けるように意識できます。
嫌な出来事に囚われるのではなく糧と認識してポジティブに向き合うほうがいい
あまりにもトラウマレベルなものは、無理に向き合う必要はありません。その場合は徹底的に避けたほうが無難でしょう。
ただ「誰かにわかってもらいたい」レベルであれば、いちいち執着しないほうが良いです。
「誰かにわかってもらいたい」はただの正当化
誰かへの理解は、要は慰めです。しかもぶっちゃけ、相手はほとんど聞いていないことが大半でしょう。
「聞いてもらえた!」という感覚があれば、かんたんに自分を騙せます。そしてその感覚を得てしまうと、いつまでも求め続けるトラップ。
正しいか正しくないか、自分だけの尺度で「正しくしたい」と思うわけです。他者にわかってもらったと思えば、その考えは正しかったと。
まぁ確かにその気持ちはわかります。けど正しいか正しくないかより、事実で理解したほうが早いです。無理に正当化する必要はありません。
嫌な出来事があるから避けられる
一度失敗をしてしまったら、次にどうすればいいかがよくわかります。よく言う失敗は成功の母的なやつです。
ただ実際問題、嫌な出来事があったから避ける方法を身に着けますよね。他者へ何があってどう嫌な思いをしたかは、全くの別問題です。
ましてや仕事でその感情をむき出しにするのは見苦しい。相手が求めているのは即戦力であって、身の上話を聞きたいわけではありません。
あくまで嫌な出来事は事実として捉えましょう。事実として捉えられれば、二度と同じことにならないよう対策が打てます。
人はあんまり愚痴を聞きたくない
口を開けば愚痴ばっか、という人は避けられやすいです。あんまり愚痴は言わないほうが良いでしょう。
愚痴じゃないと思っていても、自分を正しいと見せたくなれば愚痴みたいになっちゃいます。
そんなときは自分しか見えていないので、相手の反応まで予測するのは難しいかもしれません。
でも思ったより人はそういった感情に敏感です。事実として割り切りつつ、避けるための糧にして切替えないと損をします。
まとめ:いつまでも嫌な出来事を正当化し続けると損する
「わかってもらいたい」が全面に出ている方は、あ~よほどショックだったんだな。と思います。
その反面、前を向けないんだろうなぁと感じてしまうんですよね。無理に前を向かなくていいけど、大半は前に向きたいと思いながら逆のことをしています。