何かを目指しているわけじゃないんですけど、まだまだやっていることは中途半端だなと思っています。
例えば自分の目指すものがあるとするじゃないですか。そこへ到達できていないのは、目標到達において中途半端なことをしているからです。
中途半端な取り組みなら中途半端な結果しか出ないし突き抜ければ突き抜ける
非常にかんたんなことです。中途半端なことをしていれば、その内容に準じた結果が出るのみ。
なのでどのくらい突き抜けられるかが重要だと思っています。現状の自分はゆるゆるだなぁと感じるのです。
突き抜けるには時間がかかる
裏技でも無い限り、突き抜けるには時間がかかります。短期的な集中なら突き抜けられても、継続できなきゃ意味がないですからね。
継続するのも中途半端じゃダメなんですよ。誰よりも注力して、少しずつ改善して鍛えていかないと難しいです。
才能がある人は一気にコツをつかんで、どんどん練度を高めていきます。ただ一般的にはそんなことできません。
かけられる手間が決まっているため、どのくらい手間をかけて時間を投下し続けられるか。ここじゃないかと思っています。
継続は前提で洗練させていく必要がある
続けるのは当然のこととして、随時洗練させていかないと成長は見込めません。薄っぺらい時間を長く過ごしたところで、突き抜けられるはずもないでしょう。
最初は1時間かけて低クオリティだったものでも、慣れれば30分で高いクオリティのものが作れるようになります。
そこでまた時間を投下して経験数を増やしたり、注力してさらに高い品質を求めたりするわけです。
手間を減らすのではなく、常にリソースは一定量を投下する感じでしょうか。仕事だと一定量を超えたら、突き抜けるよりも安定を求められる気がしますけど。
ただし得意不得意はあると思う
先を目指していれば、どんどん自分が足りないと思うことばかりです。でも好きじゃないと、きっと先は目指せ無いんですよね。
突き抜けることが素晴らしいことだとも思いません。人には得意不得意があるし、興味を持てない人だっています。
なので無理に突き抜ける必要は無いでしょう。ただ自分の目的に沿った手段なら、わりと突き抜けるのは都合が良いことも多いです。
求める方向性がその先にあるものじゃなく、例えば安寧で現状を受け入れられるなら別物になります。
まとめ:自分の目的と合致するなら手間を投下し続けなきゃいけない
いけない、と書けばやや自分を型に当てはめすぎている感覚があります。しかし合理的な選択を考えると、欲しいものがあるなら準じた行動をすべきでしょう。
欲しがっているのに違う行動をしているなら、ただの矛盾です。その逡巡がいいなら問題は無いかと思います。