ある程度経験が積まれてくると、自身の過ちを重ねて助言しがち。ついつい「そのままじゃ痛い目見るぞ!」と言ってしまえば、老害認定されるかもしれません。
ただ客観性が保たれているなら良いんですけど、大半の場合って「そうなってほしい」が優位です。
助言をする際に「痛い目を見てほしい」と思えば歪んだ願望を押し付けてしまう
「痛い目見るぞ!」という助言は、「できれば痛い目を見てほしい」という願望なんですよ。そして私が正しかったんだ、と思い込もうとしています。
もちろん経験則に基づく貴重な意見であるのは間違いありません。ただほとんどの場合、利己的な欲求が含まれているのも事実でしょう。
人の成長はもっと複合的
間違いに気付くときって、多くのキッカケが重なったときじゃないですか。そのまま歩いていたら転ぶよ!なんて言われてすぐ転ぶ人は極稀です。
人生における成長や失敗は、もっと複合的に折り重なっていますよね。何が原因で何が良かったかなんて、一つで言い表せません。
しかも言われてすぐなら自覚できるけど、時間経ってから「あのとき…!」と気付くことはあまりないです。
いつか痛い目見る!と伝えた時点では、その程度だったのでしょう。ただ多くの場合、自分の見ていないところでどんどん成長をしています。
合わない人はとことん合わない
いくら「その在り方じゃいつか間違える」と思っていても、全く別方向で成功を収める場合も多いです。
つまりやり方が気に食わないだけで、合わない人はとことん合いません。そういう方の助言は余計に空振りしやすいです。
今まで数多くの助言を受けてきましたが、役に立ったのはほんの一握りだけ。しかも大半は願望だったことがよく分かりました。
自分の方向性に合ったものを取り入れられれば良いけど、偏りがちになるのも難しい部分です。
願望だけじゃ未来は変わらない
迷惑かけられたけど変わらないから、いつか落とし穴に落ちてくれ!と伝えているのと何ら変わりはありません。
ただその願望だと、相手が地獄に落ちることはあまり無いでしょう。むしろそういう考え方をしているほうが危険です。
いつまでも自分の未来を変えようとせず、現状の維持を図ろうとします。その結果、ずっと変わらず同じことを続ける習慣となるわけです。
比較してみると、願望で助言をしてきた方はずっと変わっていませんでした。本当に役立つ助言をしてくれた方は、どんどん成長されています。
まとめ:変な助言をしないように気をつけようと思う
自身も助言とかしがちだけど、口うるさい老害にはなりたくないですね。改めて客観的に見ると、そういう助言はただの願望だなと思います。
どうせ助言をするなら、自身の願望を押し付けず相手の未来を楽しみたいところです。