何か誤解を受けたときとか、通じ合うために話をすることってあるじゃないですか。大局を変えられるならまだしも、多くの場合はけっこう無駄が多いです。
例えばその人と深い関わりがあって、ある程度すり合わせを行う必要がある場合は除きます。でも大半は自分の人生に関係がない人です。
実は他者に時間を使う際、優先しているのって自分の見栄でしか無い
私は他者がどう思うか、という部分はあまり興味がありません。もちろん最初からこうだったわけではなく、大半が「自分の見栄だな」と過去に思ったからです。
誤解されたとき、勘違いだったら直したいじゃないですか。でも結局「自分はよく見られたい」が根底にあるんですよ。そのために無駄な時間を浪費しています。
自分をよくしたいのは当然だけど無駄が多い
勘違いされたとき、そうじゃない!って思いますよね。正しい自分を知ってもらいたいし、そもそも実は悪い自分を受け入れられない。
他者の心に悪い自分がいるのは耐えられない、といった感じじゃないでしょうか。ただ多くの場合、どんなことをしても悪い印象に捉える人はたくさんいます。ホントに。
そして他人をいちいち気にしていると、まず自分の目指したい結果は出せません。私も気にしていた時期があったけど、行動にブレが大きく生じるんですよ。
本当に達成したいものがあるなら、他人の言うことは聞かないですよね。誰しも本当に好きなものは、なんと言われようと続けてきたはず。
優先するのは自分の見栄か結果か
結局、自分の見栄を優先するなら、一人ひとりに時間をかけていいかと思います。でもそうすると目標達成への時間は限られるし、精神的にも引っ張られるはずです。
結果を優先したい!って思いつつ、他人に時間を費やすのは矛盾した行動ですよね。矛盾すると力を加える方向性が分断されるので、かなり非効率になります。
しかも人にかける時間って、正直わからない部分が多いじゃないですか。伝えたことが100%理解されるわけでもないし、逆に悪印象となる場合もあります。
なので必要なことは行動で示して、本当に必要な人だけ時間を使えばいい。割と人に使う時間は無駄が多いなって思う話です。
まとめ:やりたいことがあるならその時間にだけ力を使えばいいよね
意外とやりたいことがあっても、なかなか集中できないよう環境づくりをしている方も多いです。無自覚ですね。
ただ人との時間で一番気にしているのは、自分の見栄という場合もあるでしょう。正直リターンは少ないし、他者基準なのでコントロールはできません。