うえのブログ

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相手が求めていることにどこまで自分を合わせられるか

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他人軸で生きると大変という話をよくしているのですが、大きく結果を出すなら他人軸は確実に必要です。

むしろどこまで相手が求めていることに合わせられるか、という部分は非常に大切。ユーザーが求めていないことをしたところで、指示を得られるはずはありません。

どこまで行っても相手の求めていることに合わせなくてはならない

極限まで振り切れて、山中や無人島で誰にも迷惑をかけず自給自足するなら別です。基本はほとんど人と関わらなくてはならないため、どこかで求めることに合わせます。

ただ他人軸で生きる、という表現とは少し違いますね。どこまでその期待に、自分を捨ててなりきれるかって部分でしょうか。

自分が楽しいだけじゃ生きていけない

私も自分が楽しいかどうか、を基準としてよく選択を行っています。でもその感覚って、続けられるかどうかに近いんですよね。

本当に自分が楽しいだけ、じゃ生きていけません。きっと毎日ツムツムだけしている生活になるでしょう。(ツムツムは例えです)

他人への期待にどこまで応えられるか。そしてどこまで自分を捨てられるか?という振り切れ感は非常に大事です。

中途半端に自分を入れてしまうと、やはりどこかで人は離れていきます。私も振り切れは少ないけど、大きく結果を出す人は振り切れがエグいです。

どこまで振り切れるか

差別化でほかにはないものを提供…とか。そこでなぜか自分らしさを入れることが大事だ!と思う人もいます。

もちろんそこがたまたま、ユーザーの求めることに繋がる事例もあるはずです。大半は空振りに終わりますけどね。

よく考えてみると、本当にユーザーが求めていることに全力で応えているか。ここは自分の中でもまだ疑問があるところです。

この疑問をさらに突き詰めていけば、おそらく周囲が言う「振り切れている」に属するのかなと。意外と自分のプライドって変なところに作用していますよね。

まとめ:実は変なところで自分にブレーキをかけているよねって話

実際のところ、相手が求めていることに全力で合わせれば結果はついてきます。邪魔しているのは案外、自分のくだらないプライドが大半です。

まぁ市場規模というか、どのくらいの人に需要があるかを考えるのも大切ですけどね。ニッチ過ぎると全然支持が得られません。