うえのブログ

気になったこと、思い立ったこと、調べてみたことなどを書き留める場として使っています。

おかしい!と思い続けたからこそ曲げられない自分も作られてしまったわけで

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おかしいな、って思うことって多いじゃないですか。とくに私はこの疑問を追求するクセがあるので、些細なことでも引っかかる厄介者です。

ただ疑問を追求する際、自身を曲げるか曲げないかはトレードオフの関係だと思っています。曲げずに追求してきたからこそ、事実が分かるまでは曲げられないという。

疑問をねじ伏せられてきたからこそ逆に追求する姿勢がついてしまったのかも

振り返ってみると、自身が抱いた疑問ってどうでもいいことが多かったです。そしてその疑問は持たないよう指導されてきました。

現在はその疑問を追求できる環境です。やはり自分にとっての疑問を追求すれば、求めているものが手に入りやすい。そうなると余計に姿勢を崩しにくくなります。

疑問を追求する姿勢と融通の利かなさ

今まで私の中で、自身が抱いた疑問はスルーするのが当たり前だったんですよ。気にかけながらも、気にしてはいけないみたいな感じです。

ただその姿勢は常にモヤモヤ感があって、自分らしく生きている感じがしなかった。抽象的ですけど、諦めと皮肉が自分を損なっていた感覚でしょうかね。

疑問を追求する姿勢になってからは、至るところで腑に落ちる感覚がありました。そして同時に、理由を知るからこそ最適な行動が取れると。

つまり結果だけ見ると、自分の考え方は正しかったっていう現実になってしまったわけです。この姿勢を維持するには、融通が多少利かなくなります。

間違いを敏感に察知していきたい

なにか違うな、間違っているな…って思うことが直感でもあると思います。本当に間違っていないなら認める必要は無いけど、事実があるなら認めるべきです。

過ちをスルーしちゃうのは違いますからね。融通が利かない面はありつつも、間違いを察知できる感覚は必要です。

最近だと「こうかもしれない…!」と直感を大切にする場面が増えています。同時に間違ったまま突っ走る可能性もあるわけで。

改めて間違いがあるかどうか、確認していく姿勢は重要だと感じました。要はバランスの問題ですけど、常に偏り続けるのではなく柔軟に変えていく姿勢が必要ですね。

まとめ:少しでも疑問があったら自分の判断でも立ち止まる

直感で自分の判断を信じるのは良くても、重大な見落としがあると危険です。そのまま自分に手痛い反動が来ます。

ふと立ち止まる瞬間があったので、今後も少し気をつけていかなくてはなりません。軌道修正しながら目的地にたどり着ければOKです。