うえのブログ

気になったこと、思い立ったこと、調べてみたことなどを書き留める場として使っています。

とにかく自分の正しさを証明したい人に何を言っても無駄である

発信をしていると、たまに批判する人が現れます。話を聞いてみても、なんだか前提をすっぽり抜かした方が多いんですよね。

そもそも建設的な話し合いを目的としたものではないし、相手が「指摘に対する対処をしていない前提」なわけです。とにかく自分の正しさを突き通したいだけ。

自分の正しさを証明したいだけの人は丁寧さを装いつつ中身が粗悪

おおよそ一回目の返信で、話が通じるか通じないか分かります。相手の質問に対し、前提を元にもう一手先の話を伺うので。

つまり前提を抜かした場合、全く違う方向へ話が飛んでしまうんですよ。そして自分の都合が良いように話を持っていくため、趣旨が大きくズレてしまいます。

共通して丁寧っぽく最初に謝罪を入れる

免罪符のように、最初に謝罪を入れる方は共通して危険です。謝罪をすれば、何を言っても許されると思っているんでしょうかねぇ。

ほとんどの場合、そういうパターンの方は内容を見るまでもありません。むしろ謝罪を入れることにより、のちの文章を強調する効果まで現れます。

つまりわざとやっている…?!なんて憶測まで出てしまいますね。実際には文面からそのつもりが無いのは分かるので、天然でやっている方が多い印象です。

見ていると本当にパターン化しているんですよね…。最初の一文を見れば、「きたきた!」と分かってしまうほどです。笑

とにかく話をしていても無駄なことが多い

共通してそういう方々は、決めつけによる否定が大半です。何を言っても、自分の都合が良い解釈をしています。

あとけっこう決まって、回りくどい方も多いですね。何に対して言っているのか、若干分かりにくい部分があるんですよ。

なので自分に対しての話ではなく、相手の話に対して事実のみを述べます。すると勝手にこちらの思っていること、という解釈で話を進めるわけです。

その時点で話が通じないのは分かりますよね。なんとか自分の求めている悪い像に結びつけて、自分が正しいと気持ちよさを求めるだけです。

まとめ:分かり合おうとしていない人には何を話しても無駄

分かり合おうとする人は、相手の話を前提に進められます。しかし自分の都合が良い展開を求めている方だと、なんとかして違う方向へ進めてしまうわけです。

話し合いをする前提じゃなくて、全く違う意図が含められています。なのに見た目は対話を求めているので、性質が悪いことこの上ありません。