たまに全く違う話だけど、同列で考える方いますよね。前提もなにもかも違うのに、いきなり同じ条件で話し始めるみたいな。
自分の感想を言っているだけなら良いんですけど、ツッコミどころが多数あると頭をフル回転させてしまいます。
急にツッコミどころが増えてしまうとどこから話せばいいか分からなくなる
淡々と話がいい感じに進んでいても、急に前提条件を間違えられるとびっくりします。イメージとしては下記のような感じです。
- どこから前提を間違えていた?
- 一旦記憶を遡ってみよう…。
- うーむ…自分の理解が間違っていたか?
- 相手はどこから間違えていただろう
- ひとまず状況を把握しなくては
- 状況を把握するためにはどういう質問が的確だろう?
- (状況に合わせた思考)
みたいなのをけっこう考えてしまいます。冗談だったらすぐ分かるんですけど、割と噛み合いが悪い方はひんぱんに考えてしまうことが多いです。
無駄に回転させるからコスパが悪い
そこまで深く考えなくても、軽めに考えて話を進めればいいと思うんですよ。ふつうの会話でもそんなに頭を働かせれば、無駄に疲労感が増します。
自分でもコスパが悪い思考回路しているなぁ…なんて思うほどです。なんとか辻褄を合わせてみたいのかもしれません。
ただ間違いを発見するとこの上なくスッキリするので、そういった嗜好も関係しているでしょう。
思考回路そのものがおかしいとか、理解できない系なら興味の対象で見ます。その場合は探るのが面白いため、また違う感覚を覚える状態です。
日常会話でそんな頭使うのいらんわw
いやぶっちゃけ、日常会話でそんな頭使わなくていいと思うんですよ。自覚があるとおり、コスパが悪すぎます。
だから普段の会話でも、んん?って思っちゃうことが多々あるわけです。実際、人の会話なんて空気感じゃないですか。
今でこそそういう前提で見られるから良いけど、ふとしたときに思考を巡らせてしまいます。もはやクセになっている感じですかね。
一番いいのは人との会話を最小限にすること。文章のほうがまだ落ち着いて構成できるから、わりかしラクな感覚はありますね。
まとめ:ツッコミどころも愛せる気持ちがあれば
前提を崩した上でさらにひっくり返す方がいて、やや混乱してしまうことがあります。そんなツッコミどころも愛せるようになれば、人として大きく成長するはずです。
とはいえ矛盾を切り崩す際に役立つこともあって、そっちのほうがメリットは大きいと感じます。なかなか難しいところですね。