うえのブログ

気になったこと、思い立ったこと、調べてみたことなどを書き留める場として使っています。

今思うと無から有を作れる人って本当にすごいなぁと実感した

例えば絵描きさんなら、白いキャンパスに自分の表現したいものを描くじゃないですか。ふつうに考えて、何もないところから作れるのってすごいですよね。
表現者に限らず、ゼロから何かを作り上げられる人は素晴らしい。分野は違えど、そういう人は尊敬に値します。

何もないところからなぜ素晴らしいものができるのか

冷静に考えると、素晴らしいものってわけじゃないんですよね。単純に本人が表現したいものを作っているので、相対的に素晴らしくなっているだけです。

なんて分かっていても、その目線は自分のものだけです。他人の生み出したものを見れば、自然と素晴らしいって思ってしまいます。

無から作るというよりも表現する手段

私も一応は表現者っぽいことをしているし、真似事に近いけど無地から作り出すようなことはしています。

ただし自分のやっていることは、全然すごいことだと思っていません。今ある仕組みの中で、ほんの少しだけ「こうしたらいいよね」ってことを組み立てているだけ。

おそらくホントの表現者は、自分のモヤモヤとか濁ったものから純度の高いものをすくい出している。その過程で技術とかなんだとかがあるんじゃないでしょうか。

周囲からすると全然予測がつかない方法で表現するから、どうやってその物語が生まれたんだろう?って考えちゃうんでしょうね。

自分も作るけどやはり他人のものはすごいと思う

私は主にコンテンツ作成を生業としているので、基本はユーザーの受けを中心に組み立てます。そこに自分らしさをプラスする流れです。

偶然今はその自分らしさがウケているような。ジャンルを変えても、なんとなく通じる部分が体感としてあるので。

ただそんな状況でも、他人の作り上げたものは本当にすごいなぁと思ってしまいます。どうやったらそうなるんだろう?と追求したくなる気持ちは止まりません。

けっこういい刺激になるんですけどね。あぁ、このやり方で近づけてみよう。とか、少し真似てみようとか。方法が増えるイメージです。

まとめ:思っていることが同じでもすくい出す方法で難解になる

基本、人のうまく言い表せられない何かを形作る工程だと思うんですよ。良い方向でも悪い方向でも、イメージを具現化する的なやつです。

ただその方法とか、切り取り方で幾通りもの手段が生まれるわけじゃないですか。そこの難解さがたまらないですよね。