何をどう捉えたのかは不明ですけど、私に対して「頑張っている感がキツい」と告げた方がいました。何に対してなのかはちょっと分かりません。
どういう意図があるのかも分からないので、正直「だからといってどうなんだろう?」と思いました。ただの感想でしょうかね?
何を言われたところで努力は止めないしむしろまだ足りないと思っている
正直なところ、私はあらゆる方面でそんなに頑張っていません。でも継続して何かをしているし、そこそこ客観的な数字、実績は出せます。
ただ努力量は足りないです。最近はサボりがちですし。しかし現在継続しているものは、努力量を減らすつもりが微塵もありません。
前提として今以上のものは追求し続ける
頑張っている感がキツい、といわれても努力はやめません。私の生き方として、ひとまず「今以上のものを追求し続ける」が前提にあるからです。
その過程でもしかしたら、キツそうに見えるものもあるかもしれないですね。自分なりにもがいて出した結果だとしても、無理がかかっている瞬間はあるかもしれません。
ただ個人の価値観ですけど、他人の目を気にして自分のやりたいことを損なうのは避けたいもの。確実に後悔し続けるはずです。
なので何を言われても変わらないのが前提。そのうえで、なにか気になる感覚があったので少〜しだけ掘り下げてみようと思います。
頑張っている感がキツいのは事実かもしれない
どういう方面で、頑張っている感がキツいと感じるのかは不明です。ただ自分が感じる部分として、継続量が多い点はそう見えるかもしれません。
私は大半のことを同じルーティーンでこなしており、続ける点において特化しているフシがあります。
人によって、その部分を切り取れば「頑張って無理している」と見えるかもしれない。自身でもゆる~く続けられる方法で続けているけど、深層では無理しているかも。
その辺りは難しい判断ですけどね。ただ継続量は確実に驚かれる量をこなしているので、そこは確かにキツいと思われても仕方ない感覚があります。
まとめ:すでにゴールが見えていればもがく部分は醜いかもしれない
私の中ではすでにゴールが見えているけど、到達方法が分からない状態なんですよね。どうしてもそこに行きたくて、もがく瞬間は変に見えそうです。
おそらくですけど「頑張っている感がキツい」と発言したとしても、出てきた結果を見ればまた違う感想を抱くでしょう。日和見的な感覚がありますね。