うえのブログ

気になったこと、思い立ったこと、調べてみたことなどを書き留める場として使っています。

具体的な動機とか目的を聞きたいのに感情を伝えられても困ることが多い

原因を探りたいときとか、なぜそうしたのか?を聞くことが多いです。しかし返ってくる答えで、なぜか謝ってきたり怒ってきたりすることがよくがあります。

正直その人の感情的な背景は要らないんですよね。あらゆる手段がある中で、なぜその選択をしたのか?という部分が知りたいわけです。

多くの選択がある中でなぜその手段を選んだのか詳しく知りたい

例えば問題が発生したときに、「なぜこういう手段を選んだの?」と聞いて謝罪する方がいます。いやいや!そんなのどうでも良くて、こっちは意図が知りたい。

なんてことがよくあるわけですよ。正直その人の思い詰めた感情とかは興味がなくて、なぜそんな選択を行ったのか(その人なりの)合理的な理由が知りたいわけです。

感情は理解するけど不純物でしかない

なにか選択を行うとき、感情を挟めばよくない結果になることはよくあります。ふつうに1を足したら1になるよね、という感覚で選べば利益をもたらすはず。

もちろんやりたくないものに関しては、続けることが苦痛になることもあるでしょう。そういった面で感情を利用することはあります。

割と動機「だけ」を聞きたいのに、なぜそんな選択をするに至ったか説明する方。悪いことという自覚があって、先に謝罪をしてしまう方。いずれもどうでも良い話です。

正直言って間違いは誰にでもあるし、起きてしまったことはもう仕方ありません。次に起こさないよう工夫する上で、そこまでに至った客観的な要素が必要です。

まとめ:身の上話とかどうでもいいから手っ取り早く要素を検証したい

人と話す上で、ここが一番まどろっこしいなぁと感じます。実はいじめられていて…とか、やりづらさがあって…とか。

嫌なら辞めるか改善すればいいし、逆に自分を貶めるような選択が正当化できるとも到底思えません。なんてことを度々思います。