原因を探りたいときとか、なぜそうしたのか?を聞くことが多いです。しかし返ってくる答えで、なぜか謝ってきたり怒ってきたりすることがよくがあります。
正直その人の感情的な背景は要らないんですよね。あらゆる手段がある中で、なぜその選択をしたのか?という部分が知りたいわけです。
多くの選択がある中でなぜその手段を選んだのか詳しく知りたい
例えば問題が発生したときに、「なぜこういう手段を選んだの?」と聞いて謝罪する方がいます。いやいや!そんなのどうでも良くて、こっちは意図が知りたい。
なんてことがよくあるわけですよ。正直その人の思い詰めた感情とかは興味がなくて、なぜそんな選択を行ったのか(その人なりの)合理的な理由が知りたいわけです。
感情は理解するけど不純物でしかない
なにか選択を行うとき、感情を挟めばよくない結果になることはよくあります。ふつうに1を足したら1になるよね、という感覚で選べば利益をもたらすはず。
もちろんやりたくないものに関しては、続けることが苦痛になることもあるでしょう。そういった面で感情を利用することはあります。
割と動機「だけ」を聞きたいのに、なぜそんな選択をするに至ったか説明する方。悪いことという自覚があって、先に謝罪をしてしまう方。いずれもどうでも良い話です。
正直言って間違いは誰にでもあるし、起きてしまったことはもう仕方ありません。次に起こさないよう工夫する上で、そこまでに至った客観的な要素が必要です。
まとめ:身の上話とかどうでもいいから手っ取り早く要素を検証したい
人と話す上で、ここが一番まどろっこしいなぁと感じます。実はいじめられていて…とか、やりづらさがあって…とか。
嫌なら辞めるか改善すればいいし、逆に自分を貶めるような選択が正当化できるとも到底思えません。なんてことを度々思います。