世の中って余計なことでありふれているじゃないですか。自分に直接影響のあるものだけやれれば、そんなに無駄な時間を過ごさないと思うんです。
でも自身も含めて、そんな余計なことをやりますよね。そしてその結果、一体何が起こるんだろうなぁって思いまして。
結局余計なことをしすぎると後悔につながるけど意味を見いだせれば関係はある
おそらく余計なことをしすぎると、本当に自分のやりたかったことができない。その結果、なんらかの形で振り返って時間がないときに後悔するはず。
ただそこに意味を見出せたら、余計なことが余計じゃなくなるんですよね。その認識って結局、自分で納得するかしないかでしかありません。
正しくゴールに向かって歩けるわけじゃない
ゴールに向かって歩けるなら、めっちゃ効率がいいですよね。おそらく偉人たちも、回り道をしてきたはず。
回り道しすぎたら困るけど、きっとどこかでその道もつながっているのでしょう。振り返ったときに、最短で行けるルートはその道を通らないとわからなかった。
ふと余計なことばかりが多すぎる、という発言が気になったんですよね。確かに…でもやりたくないなら、やらなきゃいいのになぁ。と。
でも自分もけっこう余計なことをやりすぎている。しかし大半はやりたいことができています。自分がどこで妥協するかってところなんでしょうか。
まとめ:余計なことをやるにしても「面白い余計なこと」がいい
「面白い余計なこと」がたくさんあると、きっと満たされる感覚も強いのでは。やらなくてもいいのに、面白いからやっているみたいな。
そうなるとやはり、心ここにあらずの状態が一番良くないのでは。早く○○がしたい、と忙殺された瞬間は全然今を生きていないですもんねぇ。