上野ですお疲れ様ですです。言葉って不思議。
あんまりスピリチュアルな表現は言いたくないけど、言霊って捉えられるのは分かるぐらい。
多分、多くの人がこの言葉というコミュニケーションツールに惑わされ、辟易して疲弊する。
だからこそ、無駄に時間を浪費して考えるのが楽しい!って思えたりするのでは。
疲れた!という言葉
Twitterを絡めると、なんか表現の幅が広がる。
出勤してきた瞬間に、はぁ…疲れた…って、割とみんなに聞こえる声で言ってる同僚(ため息を添えて)
— うえのゆう (@uenoyou111) 2017年10月28日
割と日常茶飯事ではあるけど、同僚が疲れ切っててよく出勤時に疲れた~なんて言ってる。てか、もはや口癖。
これを聞いて周りの人はどう思うんだろう?
少なくとも私は不快だ。
不快に思う理由その1
ネガティブワードって、すごく影響を受ける。
人ってほんと、影響されやすい生き物なんだろうなぁって改めて思うけど、ネガティブなワードをずっと聞いてると勝手にイライラしたり、落ち込んでくる。
しかも、無自覚。
ふと、なんでイライラしてるんだろーって思って、あぁ、ネガティブワード浴びてるからだ。
って自覚できる人はそういないはず。
いい影響を受けるならまだしも、悪い影響はごめん無理。
表現の自由としてはアリ
難しい部分だけど、一種の表現とかブログとか、作品として取り入れるのはアリだと思ってる。
結果的に、いい影響をもたらす部分が大きいから。
のめり込みすぎると危険だけど、自分で取捨選択できるのがいいと思う。
自分が意図しないところで不当に落ち込ませてくるのがダメ、職場環境はまさしくそれに近いものがある。
自分の望む結果を取り入れられてない、無自覚、違和感、結果→気持ち悪さに繋がる。
過剰な表現は控えめにすると、一種の性犯罪に似た嫌悪感を覚えるイメージ。
不快に思う理由その2
疲れた、という人に限って。作業量で比べるとそんな仕事してないという事が多かったりする。
— うえのゆう (@uenoyou111) 2017年10月28日
ストレス発散なにしてるの~?って聞いてみると、ただぐうたらしたり、生産性皆無な活動をしてる事が多い。
環境はほとんど一緒なんだけど
ほぼ勤務時間は一緒、業務範囲の違いがあるので責任に対する重圧は違うと思う。
プライベートで何をしてるかは正直知らないけど、聞いてる限りや伝わってくる意識から、ただ時間を浪費して過ごしているんだろうなと感じられる。
その同僚は通勤がかなり近いので、その分私よりも時間があるし、満員電車の圧迫感もない。
何が言いたいかって言うと、私より楽な環境であると推察できるのになんでそんなダルそうなの?というところ。
同僚はそこまで考えてないと思う
多分彼は、周りのことを考えてはいない。自分の気持ちを素直に表現しているだけだ。
ただ、ここで不特定多数の人に悪い影響を与えているという意味では、本人の意図しない形で周りに伝えてしまっている。
ふと違う同僚から、あいついつもマイナス思考だな。って漏れ出た言葉を聞いて。ニュアンス的に「うんざり」っていう感覚が伝わってきた。
— うえのゆう (@uenoyou111) 2017年10月28日
どうするべきか?
自分で浴びる情報は選択できる。
職場環境を変えたり、もっとポジティブなワードに囲まれる準備を整えれば問題ないはず。
そうしないのは、様々な理由があるけど。結局のところ現状に不満があっても、変化を求めてないならただの怠慢だと思う。
その怠慢を、忘れないようにここに記すことも、きっと未来の行動の足掛けにはなるだろうし。
終わりに
自分が意図しない形で相手に伝わるのは、往々にあること。
望むように伝えられればそれが一番楽なのかもしれないけど、でもそれは一番良い事とは違う。
上手くまとまらないけど、望むように伝えることより、相手に伝わった後の生み出された考えとか意見を楽しめるようになる余裕が必要かもしれない。
あれっ、そう考えると自分が考えていた言葉の威力って、相手を不快にさせるとかそういう意味合いじゃなくなってしまうなぁ。
……思考してると、一気に飛躍してしまう。ここまで来ると妄想?自分で提示したのに。
職場環境とか一対一もしくは複数という狭い部分じゃなくて、世界単位でつながっているという飛躍的解釈の意味で、言葉の破壊力を思い知った。こわー