うえのブログ

気になったこと、思い立ったこと、調べてみたことなどを書き留める場として使っています。

誰かのために考え抜いたことでも理解が得られなければ意味はない

自分なりに考えて誰かのためを思った行動でも、相手が求めていなければただの独りよがりです。まぁどこでも通じる話ですよね。

ここ最近で2件ほどそんなことを思う機会があり、独りよがりになっちゃいけないよなぁと思いました。

自分にとっては最善だと思っていても相手が良いと思うか否か

私が日ごろ傾倒している事業は、ふつうにシビアです。理解が得られなければ数字は即座に出るし、売上に直結します。まぁどこも同じですけど。

そして関連会社とやり取りをするときも、スタッフ間の連携も同じことが言えます。常に答えは無いし、模索し続ける必要があることです。

少数派になっても潰されがち

例えばスピードを求める現場で、一人だけのんびり作業していたら怒られますよね。けどその言い訳が丁寧さを追求していた結果だとしたら。

ニッチな層を狙う分には良いかもしれません。顧客が一定数その丁寧さを求めているなら、きっと理解は得られるでしょう。

ただ多くの場合「こっちはスピードを求めてやっているんだ!」という不満につながりやすいです。

なので基本的に、大きな波へ逆らうことになります。その行動の先に得られるものがあるなら良いけど、デメリットは多いし効率は悪いですよね。

不器用な生き方しかできない人もいる

私も割と不器用なほうなので、そういった行動をしてしまう人は分かります。あえて逆境に向かってしまうこともありますからね。

その行動を客観的に考えてみても、やはり「誰かのため」はただの免罪符でしか無いです。本当は自分でも非効率なのがわかっていて、正当化したいだけのことが大半。

根底にあるのってくだらないプライドなんですよね。後付けで自分が納得する理由を付けて、自身は間違っていないと証明しようとする。

まぁ無駄が大きいので、その行動を続けるならいずれ追放されるかと思います。結果として正しい正しくないは関係なくなるかと。

まとめ:結果を優先して見れば今の行動がどういう事態へつながるか

結果だけ見れば、その行動がどういう状態へつながるか分かります。先にあるものと今のプライドを優先するか、答えはすぐ出るはずです。

ただ譲れないものに関しては、譲る必要が無いかなと。信頼できない相手と苦楽をともにするなら、一人で大変な道を選びますからね。