自分なりに考えて誰かのためを思った行動でも、相手が求めていなければただの独りよがりです。まぁどこでも通じる話ですよね。
ここ最近で2件ほどそんなことを思う機会があり、独りよがりになっちゃいけないよなぁと思いました。
自分にとっては最善だと思っていても相手が良いと思うか否か
私が日ごろ傾倒している事業は、ふつうにシビアです。理解が得られなければ数字は即座に出るし、売上に直結します。まぁどこも同じですけど。
そして関連会社とやり取りをするときも、スタッフ間の連携も同じことが言えます。常に答えは無いし、模索し続ける必要があることです。
少数派になっても潰されがち
例えばスピードを求める現場で、一人だけのんびり作業していたら怒られますよね。けどその言い訳が丁寧さを追求していた結果だとしたら。
ニッチな層を狙う分には良いかもしれません。顧客が一定数その丁寧さを求めているなら、きっと理解は得られるでしょう。
ただ多くの場合「こっちはスピードを求めてやっているんだ!」という不満につながりやすいです。
なので基本的に、大きな波へ逆らうことになります。その行動の先に得られるものがあるなら良いけど、デメリットは多いし効率は悪いですよね。
不器用な生き方しかできない人もいる
私も割と不器用なほうなので、そういった行動をしてしまう人は分かります。あえて逆境に向かってしまうこともありますからね。
その行動を客観的に考えてみても、やはり「誰かのため」はただの免罪符でしか無いです。本当は自分でも非効率なのがわかっていて、正当化したいだけのことが大半。
根底にあるのってくだらないプライドなんですよね。後付けで自分が納得する理由を付けて、自身は間違っていないと証明しようとする。
まぁ無駄が大きいので、その行動を続けるならいずれ追放されるかと思います。結果として正しい正しくないは関係なくなるかと。
まとめ:結果を優先して見れば今の行動がどういう事態へつながるか
結果だけ見れば、その行動がどういう状態へつながるか分かります。先にあるものと今のプライドを優先するか、答えはすぐ出るはずです。
ただ譲れないものに関しては、譲る必要が無いかなと。信頼できない相手と苦楽をともにするなら、一人で大変な道を選びますからね。