いたちごっこを助長させてしまいますが、抜け道を考えるのは割と嫌いじゃないです。というか咄嗟に「こうすればどうなるかな?」って思ってしまいます。
その結果が得られるのは好きなので、どちらかと言えば仮説が当たるのを好むのかもしれません。
不思議な結果が得られたときに解明しようとするし得られたものを活用するのも好き
とくに発信者だと、得られる反応や数字から逆算することって多いですよね。ブログとかだとPVやらCVやら、なんか色々あるじゃないですか。
仮説が当たるまでの過程って、けっこう楽しいんですよ。当たった瞬間の楽しさはもはやクセになります。
仮説から当たって本質にたどり着いたとき
もしかしてこうなんじゃないか?って疑問を抱く瞬間、あると思うんですよね。この挙動はおかしいぞ…今回は良かったはずなのに。と。
仮説を立てて思ったような反応が得られなかったとき、なぜだろう?と疑問が浮かび上がります。その際に、どこまで自分の仮説が当たっているのか。
あらゆる点を考慮して、一つの案を出します。そして実際に行動へ移し、得られたフィードバックを元にまた調整する流れです。
このとき、もうゴールがある程度見えているんですよね。ただ方法が分からないだけで、地道に探して見つかったときは最高に楽しいです。
ひたすら探るのが好きになってしまう
こういうことをしていると、だんだん探るのが好きになって行きます。どうしたら良い結果が得られるだろうか?と探し続けるわけですね。
ただあまりやりすぎると打ち込みまくるため、時間の存在を忘れてしまいます。私はわりと没頭しちゃう傾向なので、よく時間を忘れるんですよ。
もちろん悪い方向へ使ってしまうと、あくどいことも平気でするようになります。友人はまさにそのタイプで、どんどん悪い方向へ行きました。
割とこの考えで取り組んでいると、メリットが多いので良かったなぁと思います。多少の壁にぶつかっても、粘り強く解決していける感じです。
まとめ:抜け道を探していると本質的な構造にもたどり着きやすくなる
割とどういった仕組みで物事が動いているか、すぐ把握することもできるんですよね。体感的にも、どういう構造なのか分かってきます。
人によって変なとこを気にしているとか、あまりいい目で見られないこともあるでしょう。本人は単純な疑問から行動しているだけですけどね。