以前から「疲れた」を口癖にする人が耳障りで、非常に不快すぎてとっても嫌でした。
本当に疲れたときは仕方ないと思いますけど、口癖のごとく常時発動するタイプは本当に目の前から消え去ってほしいと感じます。
疲れたといってストレスを発散しているなら非常にいい迷惑でしかない
よく「疲れた」ぐらいでそんなに波風立たなくても、とか。もっと気持ちに余裕を~とか言われた過去があります。
けど一方的にその不快な単語を聞きたくもないのに聞かされる側が、常に我慢しなきゃいけないっていう事態があり得ないです。
私にしてみれば騒音・公害問題に発展しちゃうレベルですよ?
疲れたと不特定多数に聞かせたいのはなぜか
疲れた~と独り言のごとく、一人しかいない環境で言うのは全然構わないと思います。
でも私が問題とするのは、自身も含め不特定多数の方がいる中で発言することです。
正直言って聞く側からすると嫌な思いをすることが多いし、受け流せる人は「わざわざ受け流している」という選択を取っている場合もあるかと思います。
なのになぜわざわざ相手の嫌がる可能性が高い選択を取るのか、意味不明です。最低を想定して最善をつくすならわかりますけど、全く逆の発想ですよね。
本当に疲れたら言ってもいいと思う
前提として、疲れたっていう発言が全く悪いわけではありません。本当に疲れてうっかり漏らすのなら仕方ないでしょう。
けど疲れたアピールになっていないか?という部分です。問題とするのは。
とはいえ私が妙に共感性が高いのかも、という特性もあるかもしれません。不意に出たネガティブ思考に影響されて、自分まで汚染されるのが嫌みたいな。
なんていうか、耳障りなノイズを耳元で流されるような不快感が強いんですよね。
共感するだけ無駄じゃない?
あと共感したらいいっていうことも、よく聞きます。疲れたって言っていたら、相手の不安感やストレスを分かち合ってあげればいいってやつですね。
もちろん過去に試したことがありますけど、共感したらめちゃくちゃ依存されません?下手すればおんぶしてくるんじゃないかってレベルです。
疲れた~に共感して、よい改善を得られた経験は皆無。100%非改善でした。
うるさいなら距離を置けばOK
どうしようもない事態を除いて、大抵の人は距離を置けます。耳障りな人はそっと離れればなんとかなりますからね。
久々に疲れたアピールをする人がいて、耳障りすぎてうっかり記事にするほどでした。
疲れた~の言葉に囲まれた環境ってどんなものなんでしょうかね…。
まとめ:「疲れた~」が口癖の人は大したことない説
私の周りでジャンル問わず、一定の結果を出している方はそんなこと言いません。
なんていうか疲れたって言う人に限って、現状に満足していないけど行動していない人が多いですよね。
疲れたらさっさと疲れを癒やす行動取ればいいのに、なんて思っちゃいます。