私はよく「苦手なものは誰かに任せるべき」って言っているんですけど、なぜか苦手なものを「やりたくないもの」と勘違いする方がいるんですよね。
やりたくないものとか避けるものって、そもそも意味が違います。面倒だからっていう理由だと、残念ながらただのワガママじゃないかと。
苦手なものをやりたくないものとして片付けちゃうと大切な部分を見落とす
基本的に好きなことを仕事でやっていますけど、中にはやりたくないものもけっこうあります。言葉を表面だけでとらえてしまうとわかりづらいのかも?
どちらかというと好みだけで分けるのではなく、得意不得意で分けたほうが良いと思うのです。
得意なものをやって苦手なものをやってもらうという意味
例えばゴールに到達するまでのタスクが3つあるとして、すべての項目を自分でやったら30日後に終わるとします。
けど実は苦手なものをやった場合、単体で15日間かかると。この項目を放棄したら15日は早く終わるってことじゃないですか。
だけど放棄するわけにはいかないので、得意な人にやってもらうわけです。そして相手のタスクから、自分が得意なものを抜き取ります。
その交換して抜き取ったタスクが5日くらいで終わるなら、合計20日で終わっちゃうみたいな。そんな感じのことを言っているわけですよ。
やりたくなくても終わらせられるなら工夫が必要
そもそもやりたくないものって、気乗りしないとかつまらないとか効率以外のなにかが問題なんですよね。
順当に終わらせられるなら、目をそらさないで取り組んだほうが良いです。そしてどう取り組めば気分良く終わらせられるのか、工夫が必要。
大抵やりたくないものって、重要なものが多いんですよね。私ならモチベ上がるものとサンドイッチにして、勢いよくこなせるようにします。
なぜか苦手なものを都合がいいように解釈して、自分がやるべきことを放棄してしまうのは話が違うと思うわけです。
全体の効率を考えて早くゴールできる手段を選ぶという意味
やりたくないものから目をそらすんじゃなくて、全体でどこをどう調整したら早くゴールできるかを考えるのが本質です。
早くゴールすることを本質にすれば、自分がわざわざ時間かかるものをやる必要はないですよね?
「全然勉強していないよ~」という言葉を真に受けて、そもそも勉強せずにテストで高得点を狙うみたいな話に似ています。
「全然(勉強している人に比べたら、自分は全く)勉強して(いるうちに入って)いないよ~」という意味ですね。
まとめ:視点を自分だけに合わせず到達点に合わせたらやるべきことが見える
早くゴールへたどり着く、という手段を目的にすればやるべきことは明快です。自分がすぐラクをすることに合わせたら、意味を履き違えちゃいます。
とはいっても経験しないとわからないかもしれません、自分が無意識にラクを求めていたら自覚さえ難しいですからね。