以前はゴールド免許だったんですけど、仕事が忙しすぎて更新できず失効。ブルーに格下げしたのはいい思い出です。
そして一般講習?を受けることになりました。でも車を乗るのはリスクが多すぎて乗らないほうが幸せだなぁと思ってしまった話です。
運転免許の更新講習はとにかくリスクだけを強調する伝え方のように感じた
最近はよく車に乗っていて、おかげで雨の日も休むことなくジムへ通えるようになったわけです。
運転のリスクは知っているつもりだったけど、改めて講習を受けるとリスクしかないなぁと実感するのでした。
講習内容はリスク強調でルールを守ろうという流れ
心境に変化があったのか、今まで受けてきた更新講習と受け取り方が大きく違いました。
- 過去の自分→こんなに怖い事故があるのか…改めて気をつけなきゃ。
- 現在の自分→こんなにリスクあるなら乗らないほうがいいんじゃ?
なんていうか、一歩間違うとこんな死亡事故が起きますよ!一生十字架を背負うことになるのです!だから交通ルールを守りましょう。っていう流れなんですよ。
最悪の事態を想定してもらうためにも、伝え方は非常に正しいと感じます。でも個人的には、リスクを強調しすぎて全然運転が魅力に感じないんですよね。
事故は防ぐべきだし乗らなきゃいけない人もいる
大前提として、たしかにドライバーは事故を防ぐ努力が必要だし起こしてはならないと強く思っています。
もちろん車社会の地域だと、車そのものが無いと生活が成り立たない方もいらっしゃるでしょう。
でも単純に、いくら気をつけていても100%事故を防ぐことって不可能じゃないですか。もらい事故もありますし。
便利さを秤にかけたときの、反対側のリスクが重すぎ!って感じたわけです。
構造的に問題があるなぁと感じる
リスクを全面に伝えるから、乗ろうとする人がいなくなる。そうすると若者の車離れとか加速して、経済や車社会の発展にも影響を与えそう。
伝え方を工夫すればもっとドライバーが増えるはず。でもそうすると分母が増えて、割合は同じでも事故件数は上がってしまう。
かといってリスクを全面に伝えないと、最悪の事態想定が弱くなる。うーむ…。なんて講習を聞きながら妄想していました。
でも結果的に「人が運転するから事故はなくならない」という、構造そのものが問題になっちゃうんですよね。
人の制御だけじゃ限界がある
もう人が制御するんじゃなくて、自動運転で人が全く介入しない状態こそ理想ですよね。
自動運転は危険だとかなんだとか言っていても、結局事故が起こらないレベルまで実用化したらその状態が当たり前になりますし。
たとえば私が出かけるときは、グーグルマップで混み具合を確認するんですよ。こうやって道路状況を一元管理できたら、移動効率も倍増しそう。
そんなことを考えながら、講習を受けていたのでした。
まとめ:今は結局乗ることを選択した人がしっかり交通ルールを守るしかない
なんだかんだ言って結局のところ、交通ルールを守って乗るしかありません。
車乗りつつリスクを避けるなら、運転手を雇うかタクシー移動が良いでしょう。