よく他人の悪さをまるで自分が被害受けたかのように、めちゃくちゃ怒る人いるじゃないですか。あの感覚が少しわからないんですよね。
結局のところ関係していない人が怒ったところで、なんにもならないです。むしろその怒りを受けて、イヤな思いをする人もいるかもしれません。
自分に被害がなければ他人の悪事なんて些末なことでしかないと思う
こんなことを言えば冷たいとか、なんだとか言われるんですよね~。でもぶっちゃけ他人のことなんて気にしていても、仕方ないと思っちゃいます。
自分に悪影響があるなら積極的に避けるか問題を解決すべきかですけど、当事者が問題を自覚して改善しないと労力が無駄になりやすいです。
他人は結局自分じゃ変えられない
問題を起こしている本人って、なんとかしようと思わない限り永遠に問題が解決しません。
一見すると誰かの影響で問題が解決したかに見えても、実は「たまたま本人が取り入れたから変わったように見える」だけです。
どんなに良いことやメリットがあったところで、当事者が取り入れなきゃ絶対変わんないですから。
もはや物理法則といっていいくらいこの前提を理解していないと、いつまで経っても無駄な労力を割き続けることになります。
裁くのは自分じゃないから首を突っ込む必要なし
みんなに迷惑をかけ続ける人がいれば誰も近寄らなくなるし、公共の場でもやりすぎた人は犯罪者として扱われます。
仕事として裁く立場にあったとしても、誰を裁くのか?会社から司法の場まで非常にランダムです。
つまり一定の「悪いこと」をしていれば、自然と最適な人が裁くようにできているわけですよ。法律とかも含めて。
もちろん良いことであっても最適な行動をしないと、結果に反映されることはありません。人間に対する構造とか、仕組み的にそうなっている感じですね。
つまり気にするだけ無駄だと思っている
自分が迷惑を受けたなら、然るべき対応をすべきです。自分に関係ないなら、その出来事に思考を巡らせるのさえもったいないと感じます。
まぁ議論したり、自分のためになったりするような取り入れ方ならアリです。けど多くの場合、ただ自分の好みに合わせて感情を爆発させているだけ。
芸能ニュースで他人の噂話に右往左往するのもどうかな~と思う理由は、こんなところが大きいですね^^;
昔からこの辺の感覚は少し理解できないんですよ。関係者だったら別なのに、全く無関係でしょうと。
まとめ:もっと他人より自分を見て心を動かしたほうがいい
他人に心を動かされているときって、わかっているならいいですけど執着が入っているときは危険なんですよね。
意外と執着していることさえ気付けない人も多く、時間を無駄にしていることが多いです。