うまくいったときとか大きな結果を残せたときって、「こんなことをしていたから良かった!」と言われたり、思ったりすることが多いじゃないですか。
でも結局のところ、成功したあとに理由を後付けしているだけなんですよね。だから誰かの成功例なんてアテにならないなぁと思うのです。
自分で試行錯誤した結果あらゆる要素が結びついて一定の成果につながる
一定の成果を出した人が語るときって、抽象度が高くなりがちですよね。例えば同じ継続とか努力でも質や頻度、内容がすべて違います。実践する人も違いますし。
だから具体的すぎるとほとんどの場合、多くの人に当てはまらない形となってしまうでしょう。参考になる程度のほうがより気付きを得られやすい。
過程が評価されるのは成功したから
よく結果こそがすべてだ!という方と、いやいや過程こそ大事でしょ!という方がいますよね。
状況も違えばなにを大切にするかで変わるため、決めつけることはできません。例えば人生なんかは、結果よりも過程かなぁとか思うこともあります。
ただ多くの場合、過程が評価されるのは成功したときに多いですよね。報われない努力をしていても、結果に結びつかなければ日の目を見ることさえない。
だからといって結果のみ追求すればいいとは思いませんが、ゴールを優先したほうがあらゆる方向から考えられるなぁと思います。
結果を追い求めれば迷うことが少なくなる
ゴールが見えていれば、あとはどうたどり着くかですよね。道のりを考えすぎると、ゴールを見失っている可能性もあります。
だから過程が後付けだと考えるのは、本人も過程を重視していないからだと思うんですよ。たぶんこういう道順だったはず…と、もっともらしい過程をこじつける。
もちろん違う例もたくさんありますけど、過程より結果を重視したほうが大きな結果に結びつく例を多く見かけます。
なにかの結果を追い求めているときは、本当に十人十色の可能性と道順があって当てはまることは少ないです。抽象度を高めればなんとなく当てはまります。
まとめ:誰かの成功例なんてアテにならない
誰かの成功例を聞いて、じゃあ自分もこうしてみよう!と思うのはいいかもしれません。でも本当の答えは自分で探さなきゃなりません。
成功例をマネして成功するなら、世の中の構造がもっとかんたんになるかと思います。
周囲で成功例を盲信して気になっている人がいたので、ふと考えついた話でした。