他人の行動で残念に思うことがあっても、迷惑がかからないなら何をしようとどうでもいいじゃないですか。
ただ自分にとって関係が深い人や親しい人だと、度を超えて修正を働きかける場合があります。一般的に親・兄弟・子供なんかはとくにその傾向が強いです。
他人をコントロールしたいと考えるのは小さな期待から始まると思う
大好きな親だから、愛する子供だから。そういった自分の期待から、相手の行動を「こうしてほしい」と願ってしまう場合があります。
そして期待どおりに行かないと、強く残念な気持ちになる。相手はあなたの思考どおり動く機械ではないのに、コントロールしたいって考えちゃうんですね。
人はみんな別個の存在
もしクローンとか遺伝的に同一人物が作られても、期待どおりの行動をすることはないでしょう。リアルタイムに思考を共有していれば別かもしれません。
つまり自分以外の思考や考え方は、全く別の存在です。自分にとってコントロール外の領域。念動力で車を動かすくらい無理な話です。(燃料いらず!)
リアルタイムに思考を共有していても、考え方から全く期待に沿わない行動を取ることもあります。
冷静に考えてみればそんなことくらい誰でもわかるけど、思い入れが強いとその考え方が通用しなくなることは多いです。
期待をかけるのはコントロールしたい欲求
感情的に強く思い入れがあるのは、人として当然の心理だと思います。ただ度を越してしまうと、「自分の考えどおりに動いてほしい」となるわけです。
例えば誰かが自分の意にそぐわない行動を取ったとして、全く誰にも迷惑はかからないけど残念な気持ちになったとします。
- 残念だけど、仕方ない
- 残念だ、なんとかして正そう(もしくは正したい)
迷惑がかからないなら、なんとかして正そうとするのは執着を疑ったほうがいいです。親しい人や同い年の部下、自分と似た境遇といった思い入れが強いとか。
好きだから自分と同じ考え方を持っていて、こういう判断をするはずだと思っちゃうんですね。
求めていないアドバイスも似たようなもの
自分が求めていないのに、さも良いことのように伝えてくるアドバイスって超うざったいじゃないですか。
伝えてくる本人は良いことだと思い込んでいるし、改善されたら嬉しいはずだって悪意のない善意を抱いているはずです。
けど取り入れたところで相手に迷惑がかからない場面は多く、読みたくもない本を無理やり読まされている感覚にしかなりません。
相手は善意にかこつけて、自分の望むような行動をとってもらいたいだけです。迷惑がかかる場合は仕方ないけど、度を越す場合は注意が必要ですね。
まとめ:人に期待をしすぎると無駄な精神疲労が発生するし良くない
もっと広い範囲で期待したらいいと思うんですよ、期待どおりにいかなくてもありのまま受け入れるみたいな。あとは最初から期待しないとか。
ただ本当は期待したいのに裏切られるから…と、意識的に期待しないのはまた執着を生みやすいので注意が必要です。