うえのブログ

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否定したわけではないのに否定した!と思っちゃう人は後ろめたさがある

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私はよく事実をそのままに伝えることが多いです。オブラートに包まないのもあるけど、否定された!と感じる人にも出くわします。

ただ自分の意見を伝えているわけではなく、客観的な事実を伝えているだけなんですね。なのに否定されたと感じる人は、後ろめたさがあるのではと思う話です。

事実を直視できなくて否定されたと感じてしまう人は自信がない?

ありのままに事実を伝えてしまうと、多くの方は都合が悪くなって嫌な気分になります。しかしここで受け入れられない人は、逆ギレでごまかすことが多いです。

だからといって事実が変わるわけではありません。どこまでいっても客観的な事実はそのままでしょう。

自分は単純に矛盾をどう捉えているか気になるだけ

大抵の場合、私が客観的な感想を伝えるときは「この事実に対してどう向き合っているの?」という好奇心が強いです。

実はこの感覚が昔から変わっていなくて、好奇心で聞いているのによく逆ギレされたのを覚えています。

ただそういう都合の悪いことは、聞かれたくない人がたくさんいるのを知りませんでした。空気が読めない子だったんでしょう。

単純に想定を重ねていけば、ツッコミを受けたときにどういう考え方なのか即答できると思うんですけどね。

事実を受け入れられないなら改善すればいい

ものすごくかんたんに考えると、言われるのが嫌なら改善すればいいと思います。そうすれば言われなくなるし、言われ続ける確率も下がるはずです。

なのにそのリスクを踏まえながら受け入れることもなく、自分がどうしたいのか矛盾を抱えたまま過ごすんですよね。

  • 怒られるのが嫌なら相手の求めていることに応じる
  • 相手の考え方に沿うのが嫌なら離れる
  • 打ち負かしたいなら相手以上の実力を身に着けなきゃいけない

上記の場合はよく見かける一例ですけど、何も考えなければ「嫌だ!」という感じることに対して反発し続けるだけです。

けどどこまでいっても状況は改善されず、結局自分の成長にもつながりません。なぜか考えを止めて、動かないことを決意するんですよね。

否定された感覚を深堀りする

否定されたと感じたら、よくその言葉の意味を考察してみると良いです。本当に否定してきているのか?それともただの事実を伝えているだけなのか。

ただそんなことよりも自分の在り方がどういう結果を引き起こすのか、想定しておいたほうが良いでしょう。

例え悪い面で本当に批判されていても、「わかっているけどこちらのほうがメリット多いから採択している」という反論ができます。

感情そのものに批判へ反応すると、あとで自分を見失うことも。その場合、冷静な判断も下せなくなるのでデメリットが大きいです。

まとめ:否定されたことを人格と結びつけてしまうのが良くないのかもしれない

どんな方でも人格と考え方は別ですし、考え方が間違っているからといって悪いやつとは限りません。だけど一緒にしてしまうと、自他ともに悪い影響を与えます。

ただ一般的な考え方だと一緒にしちゃいますよね。そのせいで疲弊してしまうことも多いので、適度な距離感も大切だなぁと思うのです。