うえのブログ

気になったこと、思い立ったこと、調べてみたことなどを書き留める場として使っています。

褒められることを目的に頑張る人はいずれ破綻するので原動力を変えるべき

f:id:uenoyou111:20210420214240j:plain

たまに教育をしていると、段階的なレベル上げに萎える人が多いなぁと感じます。まぁ後出しで負担が大きくなるので、萎えるのも仕方ないでしょう。

ただ明らかに求めているものと見えているものが違うんですよね。圧倒的にレベル低いのは自他ともに明白なはずだけど、なぜか意識がついてきません。

理想が高いのではなく求めるイメージを合わせてただ行動してほしい

私の教育方法は理想が高い、みたいによく言われます。けど理想が高いんじゃなくて、もっと単純に成長し続ける意識を持ってほしいだけなんですよね。

多くの人は求める基準をクリアしたら、適宜褒めてほしいのでしょう。その時点で自立とは程遠く、優先してほしい意識の部分から外れてしまいます。

意識がつかないと根本的に成長は難しい

もっと褒めてほしいから頑張る、という意識だと褒めることはあまり無いんですよね。どんなに結果を出しても、他者の見返りありきはいずれ破綻します。

そんなことよりも残酷な結果である現実の数字を意識して、より結果を出せるよう冷静に努めるほうが良いです。

もちろん褒めてもらいたい、という気持ちもわかります。鬼というわけじゃないので、その点も踏まえて「他者の見返りは求めず成長すべき」と事前説明はありです。

けど実際に理解しながら行動している人は、あまりいらっしゃいません。どこかでツラいとき、依存したくなることはよくあります。

すべてを含めて自分でなんとかすべき

誰かを頼るのは良いかもしれません、そこで前を向けるなら非常に良い気の抜き方じゃないかと。趣味とかもいいですね。

ただできれば、直接その向き合っていることと関係ない人を頼ったほうが良いでしょう。関係者に頼ると依存しちゃうし、相手も気にかけるタイミングが増えます。

もしお互いに深い関わりがあって、頼ることでメリットが双方にあるなら良い選択肢です。しかし多くの場合、一方的な依存で終わることが多いです。

なのでどんな状況でも打破する意識を持つためには、関係者に頼らずあらゆる側面からなんとかしていく力が必要なんですよね。

不確定なものをモチベにしないでほしい

一応口頭でも説明しますけど、褒められることをモチベにしている場合は絶対に褒めません。

そこで変な学習をしてしまうと、コントロールできないものを原動力にしてしまうからです。

そして他者から褒められることよりも、感謝してもらうことや具体的な数字をメインにしてほしいと願います。

先に感情的となればなんにせよいい結果は出ません。合理的に考えた上で、ここぞというときに感情で判断するほうが良いでしょう。

まとめ:求めるものはできるだけシンプルかつわかりやすいものがいい

他者承認って基準が他人だから、かなり不確定なものになっちゃうんですよね。あんまり求めすぎると良くないかもしれません。

わかりやすくシンプルなもので、もっと自分がコントロールできるもので挑戦すべきかと思います。